見出し画像

僕は珈琲 (片岡 義男)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。

 片岡義男さんの著作はそれほど読んでいないのですが、この歳になって、改めてちょっと気になり始めました。

 私よりも20歳ほど先輩ですが、独自の感性で綴り続けるエッセイには懐かしさと心地よさが同居しています。
 数々の小文のなかから、私の関心を惹いたくだりをひとつ書き留めておきます。

 「積み上げたCD」というエッセイ。
 CDを専用棚に整理していた片岡さんですが、いつの間にかその棚の周辺にも積み重ね始めたようです。

(p185より引用) ひとつだけ褒めるとすれば、七つの棚の周辺にのみ、CDの積み重ねた山があることだ。・・・CDはCDのあるところに集まっている。どこになにがあるのか。よくわかっているんだよ、という言いかたは、要するに言いかたであり、少なくとも僕の場合は、どこになにがあるのか、まったくわからない。
 積み重ねたCDの山から、ふと数枚を手に取り、一枚ずつ眺めるときの、新鮮な感慨をあなたは知らないだろう。ここにこんなものがある、ここにこんなものが買ってあるではないか、こんなものを持っていたのか、という驚きの連続は、捨てがたい。

 どこまで真面目に書いているのか、人を食ったようでいて茶目っ気のある語り口は、歳を重ねた片岡さんの洒落たセンスの表われでしょう。

 さて、本書を読み終えたところで思うこと。
 このエッセイ集は片岡さんが最近書き下ろしたものとのことですが、これを機に、片岡さんの往年の代表作にもあらためてトライしてみようかなと。
 書き手も読み手もかなりの年月を経ているので、その “感性” がどの程度変容しているのか、我がことながら興味が湧きます。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?