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秋風秋雨人を愁殺す: 秋瑾女士伝 (武田 泰淳)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 新聞の書評で目にとまったので読んでみました。

 主人公の秋瑾は清朝末期の革命運動における中心人物。
 本書はその秋瑾の激烈な生涯をその思想や人間像ととも多彩に描いた評伝だと紹介されています。

 作品の舞台になった辛亥革命の初期、興中会・華興会・光復会といった地方組織がその実行部隊として活動しました。後に、孫文が日本でそれらの各団体を団結させる「中国同盟会」を立ち上げ、革命を指導していくことになります。

(p115より引用) 漢民族を中心とする共和国を建設するための、孫文の方針はたしかにまちがってはいなかった。だが、その正しい方針が、血と涙にまみれた闘争ののちに実現されるためには、孫文路線にしたがわないで、あるいは孫文計画を無視して、めいめいの衝動と信念と実行にひたすら忠実な異端者が、次から次へ死んでいくことが必要だったのである。

 この異端者たちのことを、著者はこうも表現しています。

(p115より引用) ぐずぐずしているのが何よりきらいな彼らは、ちらばった砂の如くに舞いあがって消えて行かねばならなかった。砂たちの情熱は、幼稚であり性急であった。だが、そのようなあまりにも幼稚なモノ、無謀なモノを無数にふみ台にしないでは、成功者の巧智、後から来る者の立派な計画は立証できないのである。

 本書の主人公秋瑾もまた、この「砂の一粒」でした。

 この評伝の中には、秋瑾と志を同じくした革命同志徐錫麟が登場します。
 彼は、1907年、諸般の事情から秋瑾らと呼応した武装蜂起の日時に先立ち安慶で蜂起しましたが、たちまち鎮圧・捕縛されてしまいます。そして、即刻処刑されるに至るのですが、処刑前の彼の供述は、自身の厳然とした信念の吐露に続き、今回の行動を自己の責任に収斂させることにより同志らへの断罪の波及を押し止めようするものでした。

(p200より引用) 「・・・君たちがわが輩を殺し、生きぎもを取り、両手両足を切断し、全身をこなごなに打ちくだこうと、それは一向にさしつかえない。ただし無実の罪で学生たちを殺してはならぬ。・・・革命党の人数はおびただしいが、安慶に在る者は我一人である。・・・他の者に累を及ぼしてはならぬ。わが輩の宗旨は孫文と異なっており、彼がわが輩に暗殺を命じたのではない」

 さて、本書を読み通しての感想ですが、正直なところ「秋瑾の評伝」という感じはほとんどしなかったですね。
 もちろん秋瑾は登場しますが、彼女自身にスポットを当てた記述というよりも、革命当時、様々な思想・心情を抱きながら、その時代の重心の移動に揺り動かされていった様々な人々の人物誌といった印象です。

 魯迅も含め中国近代史に関する人物と事件のそれなりの知識がないと、本書の素晴らしさは理解できないのだろうと思います。その点でいえば、恥ずかしながら私も、十分な理解に至らなかった一人です。



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