拉致と決断 (蓮池 薫)
(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)
家族が読み終わったというので、私も借りて読んでみました。
ご存知の通り、著者は北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん。24年間にわたる北朝鮮での生活を書き綴ったドキュメンタリーです。
テーマがテーマだけに、流石にいくつも興味深い記述がありました。その中のいくつかを書き記しておきます。
まずは、北朝鮮での日常生活について。
これは周知のことですが、北朝鮮においては「主体思想」を中心とした思想教育が広く国民に課せられています。思想学習の「生活化」「習慣化」です。
このあたりのくだりは、やはり伝聞情報ではない現実感がありますね。
そして、「自由」への戸惑い。
子供も含め日本への帰国を果たした蓮池氏は、改めて「自由」について考えました。
北朝鮮では、個人の「自由」は国や民族の自主独立にとって望ましくないものと考えられています。現地の人々の中では「自由」という単語は否定的な意味で使われることが多かったのです。
蓮池氏は、24年間に及ぶ北朝鮮での生活において、「帰国したい」という思いをどう昇華させるのか大いに悩みました。二人の子供たちは、自分たちは朝鮮人だと信じています。北朝鮮の社会の中で生きていかなくてはなりません。
そして、今、自らは帰国を果たしながらも、なお北朝鮮に残されている拉致被害者の方への思いはつのります。
残っている方々の思い、日本で待つ親族関係の方々の思い・・・、人として正しいことがなされなていない事態は続いています。
(注:2013年に投稿して以来、10年近く経過した今、いまだにまったく状況は変化していません。主体性皆無の政治の無策が続きます。)