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「民都」大阪対「帝都」東京 (原 武史)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

タイトルに惹かれて手に取った本です。

 著者の原武史さんは、「東京」&「大阪」「国鉄」&「私鉄」を対置しつつ論を組み上げていきますが、その内容は日本思想史的な色合いで、ちょっと予想外のものでした。

 「はじめに」の章で、著者は、人文思想的側面から、鉄道“シンボリックな装置” として位置付けています。
 それは、東京にとっては「国民(臣民)統合の装置」としてでした。

(p20より引用) 明治以来の「帝都」東京を中心とする鉄道の発達は、日本資本主義の発展という経済的次元だけでなく、人びとによる国家意識の形成という思想的次元とも密接にリンクしていたのである。

 他方、大阪にとっては「民衆文化の装置」としてであり、主役は「私鉄」でした。

(p21より引用) 大阪を中心として発達する関西私鉄は、・・・国鉄に対抗する思想をもとに、それぞれの沿線に独自の文化を築いていったという点で際立っていた。国鉄が前述したような国民統合の装置であったとすれば、当時の関西私鉄には「官」から独立して地域住民の新しいライフスタイルを生み出す文化装置としての側面があったのである。

 大阪を中心とした関西圏には、東京に先立って私鉄沿線をコアにした「民の文化」が生まれたのです。
 沿線に開発された分譲住宅地にはじまり、動物園・温泉保養地・歌劇団劇場、さらには百貨店を併設したターミナル駅等々。

(p124より引用) 大正末期までに大阪を中心とする関西地域では、私鉄が発達するとともに、それぞれの沿線に多様な生活文化や余暇文化が花開くことになった。大正期の大阪では、同じくこの時期に発達した新聞とも連携しつつ、同時代の東京には見られない「私鉄王国」が作られていったのである。

 こうして日本最大の都市として成長した「民都大阪」ですが、その中にも地域によって大きな風土の違いがあり、それは私鉄各社の沿線の土地柄にも影響を与えました。

(p90より引用) あえて図式的な言い方をするなら、キタを中心とする旧淀川以北の地域の風土が「合理主義」と親和性をもっていたのに対して、ミナミを中心とする旧淀川以南の地域の風土は「浪漫主義」と親和性をもっていたということになろう。
 したがって大袈裟にいえば、私鉄のターミナルを大阪のキタに属する梅田におくか、ミナミに属する難波におくかによって、その私鉄が築き上げる文化の中身には大きな違いが生じてくるのである。

 そういった私鉄各社の動きの中で、キタの代表選手として隆盛を誇ったのが小林一三率いる阪急電鉄でした。
 その勢力の象徴が国鉄の線路を跨ぐ形で建設された「梅田跨線橋」です。
 しかしながら、昭和大礼(1928年)に続く大阪行幸を契機に、関西にも「官」の力が誇示されていき、大阪の風土の力関係にも変動が生じました。

(p211より引用) 天皇の登場と時を同じくして起こったクロス問題は、大阪にもともとあった二つの風土の違いをあらわにしてゆくことになる。いささか象徴論的に述べれば、一九三三年八月のクロス問題の解決とともに、近代的な合理精神や反官の思想を貫く旧淀川以北のキタの風土、すなわち阪急沿線の風土が後退し、それに代わって古代以来の王権の歴史に彩られた旧淀川以南のミナミの風土、すなわち南海や大軌沿線の風土が、急速に浮上してゆくのである。

 さて本書を読み通しての感想です。

 メインタイトルにあるように、“鉄道”創世記を舞台にした「大阪vs東京」「民vs官」の図式の(社会学的)解説も大変興味深いものがありましたが、むしろサブタイトル「思想としての関西私鉄」という視点の方が刺激的でした。

 「官」が定めた規定(軌道条例)の拡大解釈を強引に推し進めて路線拡大を実現した関西私鉄の経営者たち
 その中でも特に際立った活躍を見せたのが阪急電鉄の総帥小林一三でした。「官」を相手に腹を括って徹底抗戦していく彼の姿勢は強烈な印象を残しました。とても魅力的な人物ですね。



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