見出し画像

かくもみごとな日本人 (林 望)

 日本経済新聞夕刊のコラムを書籍化したものとのこと。
 本書で林望氏が採り上げた70名の方々は、世にあまり知られていない人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。超有名人と言える人は数えるほどです。

 歴史の教科書にも登場する人物としては、たとえば、江戸初期の独学の徒、陽明学者の中江藤樹。「近江聖人」といわれた人徳の人として紹介されています。

(p221より引用) 三十を過ぎて王陽明の哲学に接するや、その思想が自分の所感に同じきことを知って俄然これに帰依し、・・・そうして、彼が三十三歳の頃に著した『翁問答』に、本当の教育というものは、口で教えるのではなくて、自ら行いて、その師の行状を以て自然に弟子が変化するようにするべきものだと言っている。聴くべき論に違いない。

 江戸後期、不可能と思えた長州藩の財政再建を成し遂げた村田清風も有名人の方でしょう。彼は、藩校明倫館の拡張等人材の育成にも尽力しました。

(p162より引用) 後に孫弟子に当たる吉田松陰に宛てた書状のなかで「時失すべからず」と言っているのは、今自分たちがやらなくて誰がこの改革をできるか、という激励なのであった。・・・
 子供の頃鈍亀と呼ばれた努力の人清風の遺徳はかくて、後に幕末の志士を鼓舞し、明治維新の政策にまで深い影響を与えたのだが、その事を知る人はごく少ない。

 さて、「知る人ぞ知る」というタイプの人としては、小野友五郎はどうでしょう。
 小野友五郎は、咸臨丸による遣米使節に航海長として参加。帰国後は、純国産蒸気軍艦の基本設計・江戸湾の精密海図の作成・小笠原諸島の測量等、持ち前の数学力をもって多方面に活躍しました。

(p113より引用) その飽くまでも真摯で純粋な人柄と有能過ぎる才覚が却って煙たがられたのか、幕府の瓦解に際しては勝海舟の忌避するところとなって、一時獄に下る。

 その後も、明治以降、天文台の創設・天文暦の編纂・富籤と干拓の提言・洋式製塩技術の研究・・・とテクノクラートとして多彩な才能を発揮しました。

 さて、本書、その他にも、先進的種痘施術を私せず世に広めた九州秋月藩医緒方春朔、日英外交史において恩人とも称されるアーネスト・サトウ、第二次大戦において「日本陸軍の良心」といわれた陸軍大将今村均・・・等々、数多くの魅力的な人物が、林望氏独特の筆致でテンポよく紹介されています。

 「コラム」の性格上切れのよい記述である反面、各々の人物についてもう少し詳しく知りたいとの気持ちも残りました。
 そのあたりは、巻末に紹介されている参考資料に当たることで満たすことにしましょう。



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?