幕末史 (半藤 一利)
あとがきによると、本書は、慶應丸の内シティキャンパスの特別講義の内容をまとめたものとのことです。話しかけるような語り口で、半藤氏流の幕末から明治初期の歴史が語られます。
まず始めは「黒船来航」。
嘉永6年(1853)のペリー来航は、当時の鎖国体制を激しく揺るがすものでしたが、その対応に向けての議論過程が、意外な連関を辿って幕府の終焉にも影響を与えました。
さらに、この意見募集にはおまけの効果がありました。
募集に応じた意見書の中には、当時31歳の勝麟太郎のものもあったのです。このときの意見が幕閣の目に留まり、その後の幕内要職への抜擢につながっていったのです。
また、半藤氏は、幕末の思想の盛衰の危うさも指摘しています。特に「攘夷」についてです。
この「攘夷」に見られる熱狂の先走りが、再び昭和の時代に登場し、日本を大きな悲劇に導いたのでした。
さて、そのほか、本書で語られた半藤氏の興味深いコメントをいくつかご紹介します。
第一に、坂本龍馬の暗殺事件についてです。
半藤氏は、近江屋での龍馬暗殺の黒幕は、薩摩の大久保利通だと推理しています。
第二は、幕府側の主役勝海舟に関する半藤氏の評価です。
鳥羽伏見の戦いの後、江戸に逃れてきた徳川慶喜から万事を託されたのが、氷川に下がっていた勝海舟でした。
第三は、薩摩の大久保利通についてです。
薩摩といえば、西郷隆盛ですが、政治の舞台では大久保利通の方が一枚上だったようです。
版籍奉還から廃藩置県という大変革を経て、明治4年(1871)に「岩倉使節団」が欧米諸国の歴訪の途に着きました。その留守中、西郷隆盛は、徴兵制・地租改正と矢継ぎ早に新制度を導入します。そして征韓論。
岩倉らが帰国し征韓論は頓挫します。敗れた西郷のあと、大変革後の政治の実権を握ったのは大久保利通でした。
そして最後に著者は、戊辰戦争以降明治初期の10年間をこう位置づけます。
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