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新忘れられた日本人 (佐野 眞一)

 本書は、同名のタイトルで2008年から2009年にかけて「サンデー毎日」に連載された文章を1冊にまとめたものです。

 宮本常一氏の名著「忘れられた日本人」に大いに触発されたノンフィクションライター佐野眞一氏が、現代の「忘れられた日本人」を辿ります。

 最初に登場するのは、無着成恭氏の「山びこ学校」にまつわる人々です。

(p31より引用) 野口の先鋭な問題意識によって編まれた『山びこ学校』は、永井のヒューマニスティックなルポにつつまれることによって、広範な読者を獲得していった。

 それに続いて、中内功(正しくは土へんに刀)氏・江副浩正氏といった経済人、小渕恵三氏・春日一幸氏・石原慎太郎氏ら政治家、その他興行関係者や野球人・・・と様々が人物が採り上げられていきます。

 ただ、正直なところ、期待していたものに比べるとちょっと物足りない内容でした。週刊誌の連載ということで、それぞれのエピソードもほんの触りだけのダイジェスト程度です。

 もちろん、本書で紹介された何人かの方々については、佐野氏による単行本が出ています。私も以前、ダイエーの中内氏を描いた「カリスマ」を読んだことがあります。
 佐野氏のことですから、この「カリスマ」の執筆時と同じく、ほとんどの対象に対してはもっともっと詳細な取材がなされているのだと思いますが、そういった堆積した事実の厚みが十分に発揮されていないように感じられるのは、とても残念ですね。

 宮本常一氏が「忘れられた日本人」で描き出したのは、全国津々浦々を踏破する中で出会った山村・漁村・市井の人々でした。そこで掘り起こされ書き留められたのは、まさに “普通の人々” の暮しであり当時の世相そのものでした。

 それに対して、本書で佐野氏が紹介する人々は “特別な人々” です。特別な人が登場する背景には同じくそのときの時代があるのですが、主人公は宮本氏が大事にしたような生活者ではありません。

 一見コンセプトが似ている両書ですが、著者の立ち位置や視点は全く異なります。本書を宮本常一氏の「忘れられた日本人」と同じジャンルの著作として並べるのは、どうも相応しくないようです。



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