カリスマ – 中内功とダイエーの「戦後」 (佐野 眞一)
(中内氏の「イサオ」という字は「たくみへん」に「刀」ですが、フォントがないので、人名で大変失礼ではありますが「功」の文字で代用します)
2005年9月19日、ダイエー創業者中内功氏が亡くなりました。
ダイエーは私たちの年代にとっては、大規模小売業・流通業の代名詞のような企業でした。
私が子供のころ、よくダイエーに買い物に行きましたし、社会人になってから住んだ岩見沢(北海道)、横浜、熊本・・・、東京都内はもちろん、必ずといっていいほどダイエー(もしくはトポス、Dマート等の系列店)がありました。
いつごろからでしょうか、ダイエーがちょとおかしいかなと思いはじめたのは・・・。
当時は経済関係にはほとんど興味がなかったのですが、(私が???と感じ始めたのは)たぶんフランスの大手百貨店「オ・プランタン」との提携店である「プランタン銀座」の開店のころ(1984年(昭和59年))からだったように思います。
本業のGMS(General Merchandising Store:総合スーパー)では、「セービング」というプライベートブランド、特にアメリカ産のPBの「セービングコーラ」を出し始めたあたりでした。
そのころから、私の感覚は、「ダイエーにいけば欲しいものが何でも安価で買える」というよりも「ダイエーに行っても何か買いたい気にはならない」というふうに変わり始めました。
ここ数年は、年に1・2回、自宅近くにダイエーの系列店のトポスに行くことがあるのですが、失礼な言い方ですが、店内には買い物の楽しさを沸き立たせるような活気は全く感じられず、逆に、澱んだ雰囲気にこちらまで沈み込むような心持ちになってしまうのです。
何故こうなってしまったのか・・・?
このダイエーの凋落の原因を中内氏ひとりに帰納するのは正しくはないと思いますが、しかしやはり中内氏の経営戦略の失敗・経営姿勢の非適応(個人的パーソナリティ?)によるところが最大の原因だったように思います。
この本は、多くの資料と中内氏を含めた関係者のインタビューをもとに、少年時代から壮絶な戦争体験を経て、戦後流通の巨星への道を駆け上りそして破滅していった中内氏の軌跡を肉厚な筆致で著したものです。
印象的だったのは、信じがたいような戦争体験による中内氏の「人間不信の根深さ」と、それにある意味呼応した「身内への傾倒」でした。
その結果のひとつがダイエーの経営破綻であり、多くの関係者の人生を変えてしまったのです。
現在(2005年)、ダイエーは産業再生機構のもと経営再建を目指していますがその道は極めて険しそうです。
(本ブログは、2005年に掲載したものです)