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高峰譲吉文集 いかにして発明国民となるべきか (鈴木 淳(編))

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。

 高峰譲吉氏は、嘉永7年(1854年)生まれで、明治~大正期に活躍した化学者、実業家です。タカジアスターゼ、アドレナリンを発見したことで有名ですね。

 本書は、その高峰氏が自らの半生を振り返りつつ、研究・起業等への情熱を綴った文集です。
 研究者として、実業家としてアグレッシブに活躍した高峰氏の行動や言動には大いに興味を惹かれました。それらの中から2・3、覚えに書き留めておきましょう。

 まずは、貿易不均衡への日本の対応に関する高峰氏の憂慮が語られているくだりです。
 外国から加工製品を輸入する半面、原材料品中心の輸出に止まっている状況を捉えてこう指摘しています。

(p40より引用) ひたすらわが邦人は舶来の金巾の多きを憂い、その輸入を防遏せんと欲す。これ、貿易上の真理を解得せざるよりの考えに出でしものにて、貿易は各自有無の交換なれば決してこれを憂うるに足らざるものとす。ただその憂うべきは、わが邦人工芸上の労力を加えしものを輸出するの考えなき一事なり。あるいは、日本化学工業品にして西洋へ輸出し得べきもの絶えてなきのごとく思われんが、ここがすなわち工業者の注意を要するところなり。もし工業者においてわが邦固有化学工業品を少しく西〔洋〕人の意向に適するごとく製造したらんには、大いに輸出の増加を見るべし。

 西洋のニーズに合わせた付加価値製品化の勧めです。

 また、1907年、日露戦争勝利後、「実業之日本」で発表された「いかにして発明国民となるべきか」との論にて、高峰氏は、「今後の平和の戦争において勝利する方策」として日本産業の目指すべき「発明のすすめ」を強く訴えています。

(p127より引用) 国家富強の資源が産業の発達にあること、もとよりいうまでもなし。しかして産業の消長は主として発明力の大小優劣にあること、現に各国における産業の実勢にしてこれを知ることを得べし。果たしてしからば、わが日本も従来のごとく模倣模倣のみにては到底いつまでも先進列強の後塵を拝するのほかなからん。ゆえに今後平和の競争においてあくまでも勝を占めんと欲すれば、大いに国民の智力を活動せしめて、種々なる斬新奇抜の発明を案出し、これをすべての産業上に応用し、もってわが商工業の発達をして常に欧米列強の上にあらしめんことを図らざるべからず。

 そして続けて、こういった“先見の明”を示した言葉もあります。

(p139より引用) 実力の養成は工業に待つ。わが国古来、農業をもって立国の本としたが、土地狭少にして限りあり、大いに国富を増進せんとすれば、工業の進歩に待つのほかない。しかして工業の進歩は既論のごとく他国に模倣するを許さぬ、自ら発明せなければならぬ。

 さて、本書を読んでの感想です。

 ともかく、本書に採録された高峰氏の講演・論稿・寄稿文等からは、高峰氏の「日本国民の可能性」に対する “熱き期待” が迸り出ています。
 それらには、自ら為した実績とそれに至る辛苦の裏打ちがあるだけに、その言の重さは極大です。

 とてもインパクトのある刺激的な内容に溢れた良書ですね。




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