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米朝らくごの舞台裏 (小佐田 定雄)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

 SNSで紹介されていたので目に付いた本です。

 私は「落語」は結構好きな方で、その中でも「三代目桂米朝」師匠はお気に入りの噺家さんの一人です。
 もちろん “人間国宝” でいらっしゃるので言うまでもありませんが、その上品な芸風と演目の幅広さでは上方の他の噺家さんとは一線を画していましたね。

 本書は、米朝師匠にまつわる数々のエピソードを記したものですが、著者が落語作家として米朝師匠、枝雀師匠の近くで活躍されていた小佐田定雄さんだけあって、とても興味深い話が満載でした。

 そのいくつかを覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「小倉船」に登場する長唄「浦島」を踊るシーンの稽古。
 米朝師匠は四代目三遊亭圓馬師匠に習ったとのこと。その際のやり取りです。

(p96より引用) 「できるだけ手数の少ない簡単な振りをお願いします」と頼むと、圓馬師は、
「なにを言ってんだ。手数の多いほうが簡単なんだ」

 なるほど、芸の世界の話なので感覚でしかないのですが、分かる気がします。

 次は、愛弟子枝雀師匠との間のエピソードです。
 米朝師匠が演じた上方落語の名作「たちぎれ線香」を聞いて、大いに感激した枝雀師匠と話し終えて楽屋に戻った米朝師匠。

(p166より引用) それだけ惚れ込んでいたために、別のときに『たちぎれ』で感動し、泣きながら楽屋に入って来ると、衣装を脱ぎ捨てた米朝師が大きな声で、
「わしの親子丼、どこにあんねん!」と叫んでいる現場に出会わしてしまい、
「この人、なんちゅう薄情な人や。さっきの涙を返してほしいわ」とも思ったという。嘶の中に入り込んでしまう枝雀さんと、一定の距離を置いて演じる米朝師の違いである。

 こういうパーソナリティの対比は、さもありなんと納得感がありますね。

 さらに、その枝雀師匠の述懐です。
 上方落語が復活する前、米朝師匠もいろいろなところで落語を演じました。キャバレーの酔客の前でお色気小咄を語ったこともありました。

(p195より引用) それをステージの横で見ていた小米時代の枝雀さんは、まだ朝丸といっていたざこばさんに、
「なあ、朝丸。ちゃーちゃん、こんなことしはらいでもええのになあ」と訴えたことがあるそうだ。後になって枝雀さんは、
「今の若手はちゃーちゃんが若いころから独演会で『たちぎれ線香』とか『百年目』ばっかりしてはったように思うて、自分らも古典落語さえやり続けてたらあないなれると思うてるようですけど、全く聞く気のないお客さんの前で脂汗かいて小咄やってはったことを知りませんねん。そういう修羅場をくぐってない芸は詰めが甘いように思います

 人間国宝への道も “一日にしてならず”、決して順風満帆であるはずがありません。枝雀師匠の言葉だけに重いものがあります。

 さて、本書を読み通しての感想です。

 本書に記された米朝師匠の様々なエピソードに触れて、素人の私が思っていた「落語観」は大きく変わりましたね。改めてですが、“ここまで考えてのあの言い回しだったのか” と落語を演じることの深淵さに驚かされました。

 本書の「まくら」でも紹介されている「米朝落語研究会」

(p4より引用) 一門の落語を高座から数メートルしか離れていない舞台ソデで米朝師が聞き、チェックして終演後の反省会で注意をしてもらう。門弟たちにとっては、すばらしくありがたい、その反面、とても辛く厳しい勉強会 だった。

 ここでの細かな指導をはじめとして、小佐田さんが本書の随所で紹介している米朝師匠の演出の密度は、その背景となっている知識量のみならず、ひとつひとつの噺に向き合う米朝師匠の真摯さの顕れだったのでしょう。




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