見出し画像

「時間」の作法 (林 望)

 タイトルがちょっと気になったので手に取った本です。

 林望さんの著作は「日本語は死にかかっている」「薩摩スチューデント、西へ」等エッセイや小説など何冊か読んでいますが、今回のものは、文学的な風情を感じる余韻が少ないですね。正直な言い方が許されるならば、こういった趣きのエッセイなら、あえて林望さんのものを選ぶこともなかったように思います。

 今回の著作で私としてはちょっと意外に感じたのが、林望流「時間節約方法」を紹介している「第7章 「一日」の中で時間節約を重ねる―“時間の見える化”と“家事の短縮”」でのこのくだりでした。

(p126より引用) 人によっては、お茶を飲むのでもゆっくり飲む人がいる。・・・
 そんなもの、パッとつかんで、パッと飲めば、1秒ですむわけです。
 ご飯を食べるとか、お茶を飲むとか、そういうことはさっさとやる。何の生産性もないことに、時間がどんどん過ぎていくという、これほど不愉快なことはありませんからね。

 「生産性」をどういう時間的スパンの中で考えるか、24時間365日、一時たりとも「生産性」を追求し通すのか、それでは、睡眠時間も無駄ということになってしまいます。睡眠は必要不可欠のものであり活力の源です。「生産性」という指標でその効果を計るべきものではありません。

 人間生活には、緊張と弛緩の双方が必要だと思います。ゆったりとした時間の中で楽しむ豊かな食事は、とても素晴らしいものです。

 「生産性」の定義にもよりますが、それが、「効用/時間」であるならば、「心の充足感・満足感」は、分母を大きくするための非常に重要な変数だと思うのです。そして「時間」はそういった大切なアウトプットを得るための “必要不可欠なインプット” でもあるのでしょう。

 本書で記されている「リンボウ流の勧め」は、残念ながらほとんど私には響きませんでした。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?