日本人は何を捨ててきたのか 思想家・鶴見俊輔の肉声 (鶴見 俊輔・関川 夏央)
(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)
東日本大震災から2年過ぎ、何かを考えるために手にとった本です。
体裁は、鶴見俊輔氏と関川夏央氏お二人による対談を起こしたものです。
評論家の鶴見俊輔氏は、外祖父はかの後藤新平、父は政治家鶴見祐輔という家に生まれながらも、厳格・苛烈な母親に反発して、若い頃はかなり危ない行動をとっていたようです。大衆文化への造詣も深く、漫画原作者としての経験もある関川氏との会話はなかなかいいノリで進んで行きます。
たとえば、日本の村的なものに自由主義・民主主義を感じるという鶴見氏のコメントは面白いですね。
確かに日本での「村八分」と西洋の「魔女狩り」とを比較すると、「魔女狩り」の方が独善的な個の否定を感じますし圧政的で陰惨な仕打ちでもあります。
もうひとつ、「真理」についての鶴見氏の理解も興味深いものがあります。
負けたことを忘れない、間違ったことを忘れない・・・、こういった「消極的能力」を重ねることにより、真理を絶対的な「定点」としてではなく、「方向」として認識するという考えは、私にとっては新たな気づきでした。
そのほかにも、関川氏との会話で語られる鶴見氏の言葉は刺激に満ちています。
“1905年”、日露戦争の辛勝を契機としたある種の錯覚に基づく日本社会の大きな転換の指摘もそうですし、自らの半生を顧みての深い気づきの言葉もそうです。
悪党は、自分の中に「軸」を持っている、それにより周りに左右されない合理的な判断ができるということでしょう。自ら「悪党」を自認し、まともに卒業したのは小学校とハーバード大だけという鶴見氏ならでは卓見ですね。
もうひとつ、最後に書き留めておくのは“日本の知識人”を語る鶴見氏のコメントです。
アメリカ発の学説の忠実なる紹介者・解説者は大勢いますが、自らのオリジナリティを発揮する本物の知識人は稀少です。
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