この本が読みたくて
shinkuさんの読書ヒーリングを読んでから、ずっとずっとこころの中にこの本のことが引っかかっていたのである。
読みたいと思いながらもなかなか手に取る事が出来ないでいた。
目と鼻の先にある図書館の分室にあった本。
「なんだ、ここで待っていたのか」
待たせたね、やっと出会えた。
すぐに最後まで読みたいのになかなか進まない。
どう言うことだろう、
何故だろう、
分からないけど
ゆっくりと読み進む
先日、バイオリンの演奏会に行くと隣に座った知人が何気に私のバッグの中にあるこの本を見つけて
「あっ、わたしこの人の本大好き」と
そして「映画も観たのよ、とても良かった」と言われる。
お茶のお師匠さんもかなり読み込んでいる本だった。
みんなが知っている本。
まいのおばあちゃんは英国人、おばあちゃんのおばあちゃんは魔女だった。
おばあちゃんは日本に来たくて英語の教師になり、のちに日本人のおじいちゃんと結婚して、おじいちゃん亡き後も日本に暮らしている。
まいはおばあちゃんと暮らしながら、おばあちゃんから魔女になる修行方法を教えてもらっている。
魔女の修行と言われているが、これって生きる意味、生き方を教えてくれている感じがした。
ゆっくり何度でも、何度でも読み返したいものである。
やっと最後まで読み終えた。
そうか…
わたしにとっての西の魔女は母だった
だから無意識のうちに本を読み進むのを止めていたのだ。
生き方の先に死が描かれる。
まいの中にある後悔とわたしの中にある後悔がリンクする。
自然の中でおばあちゃんと暮らし、成長するまい。
鶏の死、
隣に暮らすゲンジさんのこと。
そしておばあちゃんとの喧嘩。
まいとおばあちゃんの心の距離が近づいたから、喧嘩も出来るようになったはずなのに、心にしこりが残ったまま、おばあちゃんの元を去らなければならない。
魂と身体について、身体が無ければ魂は成長しないこと。
魂が身体に宿り、身体が無ければ経験出来ないことを人間は経験する。
身体がなくなっても魂は旅を続けていく。
人間の幸せって何だろう?
それは人によって違う。
人の注目を集めることは必ずしも人を幸せにはしないし、「いじめられたり、無視をされたりするのも注目をされると言うことですよ」というおばあちゃんのこの言葉が心に残る。
親がいなくなると子供は、幾つなっても自分は捨てられたと思うらしい、これも誰しもが感じることだろう。
かなしい現実を受け入れられない。
ただ、まいにはおばあちゃんが約束をしていったことが現実となり、最後に救われる。
そして読者の一人である、わたしも救われる。
かなしい気持ちになるだけではなく、最後にはあたたかい思いに溢れる本である。
「おばあちゃん、大好き」
「アイノウ」
わたしにとって…それは彼の世に還った母からのメッセージでもあった。
少しだけ、母の旅立ちを受け止められた。
旧盆の日。
ありがとう
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