急転直下のダラムサラ【インド#29】
シムラーからのダラムサラ行きの夜行バスは地獄だった。
食欲のなくなってきている弱った私の胃を、地獄のバスは、思い切り8時間シェイクし続けた。
時々跳ねて、頭を天井にぶつけたり、椅子から落ちることが何回もあって怖かった。シートベルトなどなかった。
とにかく揺れに揺れ続けた。
ダラムサラの町へと、カーブの連続で山を登っていく。真っ暗な窓の外を薄目で見てみると、崖すれすれの道を走っていることを知り、恐ろしくてきつく目を閉じた。
気持ちが悪いが、あまり食べていないため吐きそうで吐けないし、吐き気よりもむしろ胃が悲鳴をあげていて痛い。
咳をすれば胃が痛む。
曲がりまくりの揺れる揺れるバス。
お願い、助けてー。
何度もそう思っていたら、気づいたら朝になっていた。
バス停とは思えない場所で降ろされ、そこにいたドライバーに、言い値の高いお金を黙って払って宿まで向かった。普段の私ならあり得ない行動である。
宿に着いたのは朝5時半だったが、体調の悪さを考慮して良い個室を予約していたから、そのまま部屋に通してもらえて、倒れ込むように眠った。
今回はシルクのシーツを敷く元気もなく、着替える力もなく、バックパックを床に転がしてそのまま倒れて気絶に近い形で眠った。
まだバスに揺られているような幻の振動を感じていて、夢の中でも、まだバスに乗って苦しんでいた。
昼過ぎに目覚めたが、どうしたことか体が全く動かない。
頭が重くて、トイレに行く力も出ないのである。咳をする力もあまりないのだが、咳が止まらない。咳止めシロップを持つ力もなかったのか、こぼしてしまった。いいや、どうせ全く効いていない。
壁を伝いながら何とかトイレに行けたが、ベッドに戻って毛布にくるまっていたら、次は悪寒に震えた。悪夢といい、悪寒に汗。悪霊にでも取り憑かれたようなしんどさが体にのしかかる。
これはもしや、ラダックの時に昔体験した高山病ではないか?と気づいた。あの時のバージョンアップ版が来てる気がする。多分そうだと思い、水分をとって眠らずに横になり続けることにした。
しかし、近年ソロキャンプをしてきた立山の雷鳥沢キャンプ場の標高2450mよりも、ここは標高は2000m程度で低いのに、どうなってるんだろう。高山病のヘビーさはコンディションによるんだろうなあと思って、様子を見ていた。
悪いことは重なるもので、生理前だったので、PMSのしんどさも上乗せされて私を痛めつけた。
動けない体が辛くて悲しくて、やりきれなかった。
咳も様子が変わってきていた。
ヒューヒュー、ゼェゼェと言い出したのである。
これは喘息の咳ではないか?と頭をよぎった。父親が喘息なので、知っているあの咳に似てきている。
苦しくて息が上手く吸えない気がする。
高地で酸素が薄いせいもあるが、とにかく息苦しくて、動けない。
少し歩くと呼吸が苦しい。
ありがたいことにこの宿にはウォーターサーバーがあり、水を買いに行かなくてもいつでも水とお湯が手に入ったのだが、部屋の外にあるウォーターサーバーまで行ってボトルに水を汲むことが、命がけの作業のようになってきた。
宿の屋上で夜に焚き火パーティーがあると聞いたが、階段に登れないからもちろん行けない。
そして畳み掛けるように、豪雨が毎日続いて寒いのである。
持っている服のほとんどを重ね着し、ダウンジャケットの上からプシュカルで買った冬のポンチョをずっとかぶって、毛布もかぶって横になりながら、ポンチョを買って正解だったなーと、冷静に思える余裕も薄れつつあった。
昼から毎日数時間雷雨が来るため、出かけられない。雷が苦手なせいもある。
雨が止んだ16時くらいのタイミングを狙って、なんとか力を振り絞って外に出る。
徒歩10分の距離にある和食レストラン「ルンタ」まで何度も立ち止まりながら歩く。
途中でバナナを買い、にんじんケーキを買った。実は、この町で以前食べたにんじんケーキが、世界の色んな場所でにんじんケーキを食べてきた私の中のベスト1だったのだが、ちぎって一口、時間を置いてまた一口というペースでしか食べるしかできず、ほとんど味わえていない。これが私の中ではかなりショックだった。
ルンタ・レストランに入ると、お好み焼き定食やうどん、巻き寿司、豆腐ステーキなどのメニュー。
久しぶりに見る和食のメニューに心が踊った。
ここは大阪人らしくお好み焼き定食を注文し、温かい緑茶を飲みながら、大阪にいる友達のしめちゃんとLINEをしながら待った。
お好み焼きが運ばれてきて、嬉しくて箸を掴んだが、なんだこれは。
箸が重くてしんどい。
力を振り絞らないと、お好み焼きがうまく切れない。
一口食べると、味は完全に日本のお好み焼きで、久しぶりのソース味が沁みたが、二口食べて、もうこれ以上食べられないと思い、箸も持てなくなってしまった。
「しめちゃん。どうしよう、お好み焼きが食べられない。」
とLINEを打った。
涙が溢れてきてしまった。
しめちゃんが優しく慰めてくれて、何とか泣き止んで帰った。
それから3日間ルンタに通ったが、うどんも豆腐ステーキも3口くらいしか食べられなかった。
ご飯を、しかも大阪人の私がお好み焼きを少ししか食べられないなんて、もう見ないふりはできない。
バナナ2本を何回かに分けて、何とか1日かけて食べていること。
水分も取れていないこと。
潔癖の私が、3日間、お湯が出る宿だというのにシャワーを浴びていないし、着替えてすらいないこと。
1番のショックは、楽しみにしていたダライラマの講話を、直接聞きにいくことができなかったこと。
これは落ち込んだ。
すぐそこでダライラマが話されているのに、体が動かないからという理由で行けずに、ただただベッドの上の天井を見ていた。ここまで来て、ダライラマに会わないとかあるのかと思うと、自分が情けなかった。
ブラッドやシュアと一緒にチベット難民支援のボランティアをすることも、とてもじゃないができなかった。
手が痺れてきているし、実は右の耳がいつからか水の中にいるように、聞こえにくい。
いつもの頭痛も、倍くらいの痛さと頻度で起きている。
体調不良のデパート状態で品揃えがすごかった。
もうそれらを見ないふりして、素通りすることはできなかった。
3日目のルンタ。
そこで働くおじさんも日本人のおばさんとお姉さんも、私の名前を覚えてくれていて、「あらのりまきさん、いらっしゃい」「のりまきさん、今日は何する?」と声をかけてくれる優しさが沁みた。
そこで働く優しい日本人のお姉さんが会計をしてくれたので、
「3日も続けて、たくさんご飯を残してしまってごめんなさい。美味しいのに、体調が悪くて食べられないんです。」と私が言うと、お姉さんは、「気にしないで。そう思っていただいて、言ってもらえただけで嬉しい。ありがとう。それに、ここは日本と違ってね、残飯を全部、家畜の餌にしてるから大丈夫、大丈夫!」と明るく言ってくれた後、私はなぜか涙が止まらなくなってしまった。
私はどんなに辛くても、断じて人前で簡単に泣くタイプではない。
だけど、帰り道は泣けて泣けてしょうがなかった。
涙が止まらない。
そのせいで呼吸が余計に辛くなり、ゼェゼェ、はぁはぁ、ゴホゴホしながらポロポロ泣いた。
こんなに泣けるのは、PMSのせいだけではない。
これはずっと目を逸らして騙し騙しここまできた私の体が、私の代わりに泣いてるのだと気づいた。
歩きながらしめちゃんに電話をかけたら出てくれたので、こう伝えた。
「もう無理やわ。しんどい。全部予定取りやめて、一旦帰るわ。」
しめちゃんは「そう、しい。」と言った。
涙はやっと止まった。
怒涛のインド編のラスト、もう少し続きます!
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