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退職は私を救う

「激震!第7波直撃!」ってタイトルにしていいくらいの我が職場の状況である。
例のウイルスは未だかつてないスピードと広がり方をしている。
我が職場は、医療の片隅の端っこの小さな小さな集団社会ではあるが、日本社会の縮図だなとコロナ禍以降はっきりと感じざるを得ない。
と言うのも、日本でじわじわと陽性者の数が増えだすと、「どこどこの会社で陽性者出たらしいよ」という噂を聞くようになり始める。
いよいよ増えてきたぞと報道で言い始めると、我が職場で濃厚接触者となる人が出てくる。
第〇波が来そうだぞというくらいに職場に陽性者が出始めて、
第〇波到来!となると毎日職場の職員や患者さんの誰かが複数名、陽性になっていくような感じ。
ちゃんと反映されている。
異業種の仕事をしている人はそこまで報道される状況と直結して感じられない人が多いらしい。だから外食してワイワイしているグループが一定数いるし、そこをうつむいて見なかったことにして素通りする人たちが一定数いる。
「周りでコロナになる人、そんなにいないよ」ってなもんらしいが、さすがに第7波が来て、割と等しく身近に感染者が増えているようではある。

我が職場界隈で言うと、「同居の孫」「同居の娘、息子」という属性はもれなく全員くらいの勢いで陽性になっているし、保育園関係はもれなく休園。
そして、その家族は休むこととなるし、関係ないような関係あるような状況として、みんな揃って全員体調が悪い。
熱中症なのか夏バテなのか夏風邪なのかコロナなのか分からない。慢性疲労が有力ではある。
今のご時世で絶好調かましている人って、松岡修造か織田裕二くらいじゃない?知らんけど。
そんな社会の縮図で働いているが、周囲を見ているとやはり言われている通り、今のコロナは軽めの風邪症状がメイン。
もはやワクチンの有無にかかわらず等しく感染はするが、これは確実に感触としてあるのだが、ワクチンを打った人は大体無症状か軽症で済んでいて、ひどくても1日で解熱する人がほとんど。アンチワクチンな人、陰謀論の人たちは、みんな我が職場で状況を見てくれたらいいのにと思う。なんならデータを見せてご説明しましょうか?と思ったが、そういう人達に割く時間がもったいないからやめとく。別々の道を行きましょう。
ワクチンを打っていない大人と子供や、基礎疾患持ちの高齢者はけっこうしんどいことになっていたりはするから、なかなか油断はできない。そういう弱い人たちを守るための行動をとってほしいなとは思う。無症状だと咳とかが出ない分、人にうつすリスクも有症状の人より小さくなる、これはあくまで主観だけど理論的には間違えてないと思う。

医療従事者は現在、感染症対策をしっかり講じて生きているという前提のもと、基本的には濃厚接触者になりえない存在(そんな人存在しないけど定義上そうなった)として自宅待機は免除されていて、陽性者と接触をしても仕事をし続けることができる。なんて、いかにもありがたい言われ方である。
そうでもしなきゃ現場は回らないからであり、それでもすごいスピードで片っ端から一人また一人と陽性になっていくから、そうなると自宅療養という形で自宅待機をしないといけない。
もうとっくに医療崩壊である。
我が職場では(というかおそらく現時点での医療機関は一般的に)症状が出てなければ検査はしない。
むしろ検査は、何が何でもするなと私は言っている。
パンドラの箱を開けることを禁止。
検査すればかなりの確率で陽性になるから、高熱がでなければ検査はしないし、検査をしなければ永遠に陽性にはならないというスタンスである。
こないだは、陽性者からぶちぎれられて丸腰の私(マスクはしてたけど)が唾を吐きかけられるというメジャーリーガーもびっくりの、世にも恐ろしい荒技を浴び、その時はさすがに私も検査をしたが、陰性を頂戴した。
もしかしたら無敵かも知れん。運が良かっただけだけど。

同居の誰かが何らかの症状が出てうっかり検査をしてしまい陽性になってしまいました…的な状況以外は、医療従事者は検査しないし、その結果、自宅待機にならないのだけど、子供がいる親などは軒並み陽性をくらって休み続け、検査を避けて仕事をし続けている人たちはもれなく体調不良である。
日頃から飴ちゃんおばさんで有名な私だが(誰彼無しに飴ちゃんをあげるが、要らないと言われがち)、なぜだか普段よりのど飴を快く貰ってくれる人が多い。VC3000のど〜飴〜という天童よしみのモノマネをいちいちするせいか、私も喉の調子が悪い。
少ない人数で現場を回し、これ以上出勤できる人が減るなら閉所も検討に入れようか、などという声も出る。
なお、自宅療養する羽目になった人たちは1日で元気になり、自宅でもどかしく申し訳ない思いで10日間を過ごしている。
週明けあたりから、毎日複数名がコロナ自宅療養を経て職場復帰される予定。
ちなみに、お盆休みはわが職場には当然ないのだが、交代で夏休みを取るターンに突入し、笑っちゃうくらい働く人がいない。
もう順番にみんながコロナになった方が効率的に休めるし、移らないように行動に気をつける何年にも渡る緊張感からもしばらくは無敵モードになって解放されるから良いのに、スーパーマリオのスターみたいなアイテムとしてコロナを捉えたりとか、割と本気で思っている。
まあしかし。
もう何でも来いやで。
などと軽口を叩いて笑って働く私である。
その余裕はどこから来るんですか?と言われても、今はまだおおっぴろげに口にできない明確な理由が私にはある。

4か月後には仕事を辞めるから。

それに尽きる。
辞めると決めて終わりが見えたおかげで、こんなにも晴れ晴れとした気持ちになれるなんて。
以前のようにしんどさが常に肩に乗っかっているような疲労感はそこまでない。
ああ、私は退職という自分の決断によって自分の心と体を守ったのだと思う。
まだ頑張れる。
辞めるその日まで精一杯やりたい。
この職場、守るべき人たちを守りたい。
そんな熱くて美しい使命感すら生まれて初めてちょびっと感じたりしている。
なんでこの想いを普段から持てなかったのかな、と少し思ったりもしたのだが、それは無理な話だと思った。
終わりが見えて初めて見えてくるもの、感じられるものってあるから。
毎年、長期の有休をとって旅をしていた頃、気持ちの切り替えになったし、休み明けはいつも以上に仕事を頑張ろうと思えたが、それはかりそめのひと時しかもたないものであった。
蓄積されている漫然とした疲労感、どうしようもない閉塞感、絶望感、無力感。
そういうのが多かれ少なかれ、医療に携わる仕事をしているとどうしても切っては切れないものとしてある。
いやそれ以外の仕事をしていてもあると思うけど、コロナ禍以降、そういったものが加速度的に増えていった。
それを切り離すための方法は、かなりの長期の休みか、退職しかない。
今はそう確信している。
私を守り救う方法は退職しかなかったし、現在まだ退職していないにも関わらず、自分の決断によって今の自分が守られている。
おかげで、絶望の中にもやり甲斐や働く時間の中にある楽しさなどもあったのだなぁと気づけたりした。知ってはいたけど改めて足を止めて足元の花を見ることがなかったように、今は足元の花からアリンコまで見る余裕が生まれている。

以前から、仕事から離れてしまっても、少し離れてからまた仕事へ、つまりは社会へと戻れるためのハードルがもっと低くあればいいのにと考えていた。


永年雇用という生き方も一つの素晴らしい生き方として尊重はするが、別の生き方として、仕事に就いたり辞めたりまた違う仕事をしたり、何かに挑戦したり、または世界一周の旅に出てみたり、もしくは前の職場に戻ったりと、もっと社会という受け皿が自由で広ければといいのに、と思っていた。
心や体が疲れた時、出口が見えない時は、もっとあっさりと堂々と仕事を休職したり退職したりできる世の中になればいいなと、これまで以上に強く思う。

ここ数年で、世の中には疲れ切っている人が溢れているのは間違いないのだから、この先は一息入れたり、休んだり辞めたりして一人一人が自分を守れたらいいな。
自称他称ともにタフなタイプの私ですら、退職を決めただけで生きやすくなった。
タフとか打たれ強いとかは、もう関係ないと思う。
こんなにウイルスにやられっぱなしなんだから、人類みなボロボロって言っても過言ではない。
すり減らし消耗し身を削ってばかりの時間はさくっと止めていいと思う。
止めて初めて感じられるものがあるし、止めると決めただけでも私は救われた。
みんな、しんどい時間を止めて、救われるといいな、なんて人類規模の平穏を願うくらいの余裕も生まれている私。
まずは、人類の平穏のために私が仕事を辞めます。
そして世界多分一周の旅に出ます。
そんなことを思っている今日この頃。

用事で出かけた先で土砂降りにあったが、雨が止んで太陽が出て虹が出た。
雨が降ったからこその、止んだからこその、そしてそこに太陽がさしたからこそ見られる
虹だなと思った本日の人生。


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