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noteを書き始めて48回目の記念日!もしもし、こちら忙しない日々でございます。

毎月7日はのりまきのnote記念日!

知らない方のために、大切なお知らせです。
2020年4月7日にnote界に舞い降りて、その日から毎日noteを書き始めた私。
毎日連続で書くのは一年ちょっとでやめたけれど、気が向いた時にほぼ毎日のようにしょっちゅう書いてます。
そんな私のnoteの生誕を記念して、毎月7日はのりまきのnote記念日と自分で認定しお祝いするという世にもめでたい日です。
毎月書いてまとめてマガジン化してます。
書籍化の予定はもちろんありません。
あくまで、記録をするのが好きな自分のためです。

のりまきぺディア


2024年4月7日は、わたくしのりまきがnoteを書き始めてから48ヶ月経った記念日、なんと4周年記念日です!(1日遅れた!)(って書いてたら、寝てもうて、2日遅れたー!)

宇宙人もびっくり



この1ヶ月で5本のnoteを更新。
フォロワーさんはこの1ヶ月で、1264人から8人増えて、1272人になりました。ありがとうございます。

いやー、今月も全然書けなかった。
忙しない日々でした。
「せわしない」って漢字で書くと、「忙しない」になって、「いそがしない」って書くのと同じになるのが腑に落ちないです。意味が真逆やんって今思いました。せわしないし、いそがしい日々でして、せわしないの「状況が次々と移り変わる」「せかせかと動き回っている」という意味通りの日々だったので、振り返ろうと思います。

2024年3月初旬

生まれて初めてのコールセンターでの1ヶ月間の短期バイトに行き始める。
国関連の事業のコールセンターで、電話を受けてシステムで検索したり入力したりをひたすらするアルバイトで、1日に8時間拘束されて1万円強もらえる、割がいいのか悪いのかよく分からないお仕事。1ヶ月だけだし、興味本位でやることにしてみた。
なんというか、とにかく新しい世界。
1ヶ月のバイトなのに、10日経っても研修が終わらない。最初の5日間くらいは徹底的にマニュアルを叩き込まれる。パソコンのシステム入力のやり方の研修も長すぎる。眠すぎてついつい居眠りをしてしまい何度もパソコンに頭をぶつけるし、ふと目が覚めたらパソコンのスクリーンセーバーがイタリアのヴェネツィアで、懐かしい気持ちになる。


個人情報保護等が厳しくて、紙とペン、携帯電話、飴ちゃんを持って入室することは禁止されており、やることがないので、1リットルのナルゲンボトルに入れたお茶(ドリンクは蓋があれば許可されている)も、4時間で飲み干してしまう毎日。
紙とペンの代わりに電子メモパッドを使ってメモするが、ボタンひとつで一瞬でメモったことが消えてしまい、研修中のメモの役割は果たしていないが、気に入って自宅用と今の職場用に2つも電子メモパッドを買った。
今は「バターを買う」とか、「〇〇さんにTELする」とか書いたり、電話中にドラえもんを描くとかをして、毎日使っている。



バイトの研修の合間に、ユニバーサルスタジオジャパンに遊びに行った。
私はずっと「USJ」と呼んでいたが、どうやら若い子たちは「ユニバ」と呼ぶらしく、USJとUFJ銀行とを間違えることもよくあるので、今後は「ユニヴァ」と呼ぶことにした。マリオがとにかく楽しかった。子供の頃、ファミコンのマリオブラザーズからスーファミのスーパーマリオなど、マリオと共に育ち、ゲームの中で気が狂うほどキノコを食べたので、本物のキノコは食べずに生きている。


3月中旬

コールセンターのバイトの研修期間がなかなか終わらない。毎日毎日大勢の新人バイトが入ってくるので、おそらく誰がバイト何日目なのかとかを、全く把握できていない気がする。
研修中でも同じ時給が発生しているから、私にとってはどちらでもいいのだが、私のスーパー暗記力のせいで、とっくにほぼ全てのマニュアルを暗記してしまった。時々、業務を覚えたかどうかの確認テストなるものをさせられるのだが、天才なので満点しか取っていない。
私のこの能力が毎日持ち腐れていく。
私がここの管理者なら、こんな人件費の無駄をまずなんとかしたい。どういうシステムにすればいいかなど、誰にも求められていないのに、研修期間にそんなことを何時間も考えていた。
毎回のテストが満点なので、社員さんにさすがに顔を覚えられてしまい、「いつから研修受けてるの?」「そろそろ電話対応の独り立ちを…」という話になり、ロールプレイの段階に入ることとなった。そして、そこで私が天才ではなく、いかにコールセンターでポンコツ人間なのか知ることとなった。
「もしもし」
これは、コールセンターでは絶対に口にしてはいけない禁句のNGワードらしい。「『もしもし』は『申します、申します』の略語だから、『ありがとうございます』を『あざーっす』って言っているのと同じだから!」とのこと。よく分からない理論で、私は全く新しい世界に迷い込んでしまったらしい。
何度やっても、どんなに気をつけても、電話を保留にしてデータ検索をして、保留を解除した後に「もしもし」と元気よく言ってしまう。
あざーっす!って口にしてしまったくらいの罪悪感と後悔で「ああ!」と言ってしまい、そこでロールプレイは終了。だめだめである。
もしもしの罠に気をとられすぎていると、いやそもそも大阪弁なまりが駄目だと徹底的に指摘される。
「さようでございます」「お申し出人様」など、使ったことのない日本語に戸惑う。
何でコールセンターのアルバイトなんかを選んだのだろう・・・世の中の仕事の中で一番私に向いていない・・・、そう思いながら、3月だけの1ヶ月間のアルバイトなのに、研修を3月15日まで続けた。もう折り返し地点である。

その合間に、大雨の中、運転免許を取ったばかりの友達の運転練習に付き合った。駐車場で「あんたは、分からない人に分かりやすく教える天才や!」と褒めちぎられて、ファミレスで「あんたと喋ってると、笑ってて時間がたつのがあっという間や」と言われる。その2点を何も生かせていないバイトのせいで自己肯定感が地に落ちそうだったところを、何とか持ち直して、救われた。逆にありがとな。

3月下旬

コールセンターの管理者が久しぶりに現場に現れて、管理者が現状を知り、「バイトに何日研修させてるのか?!」と現場にいた研修係の社員さんをこっぴどく叱っていた。そんなこんなで、私は晴れてコールセンターデビューを果たした。
同時期に入ったバイトのメンバーが研修中に60人やめたと聞いて笑ってしまった。見渡すとバイトが10人くらいしか残っていない。
私はもうとっくに「もしもし」は言わなくなっていたが、国関連の事業の進捗状況的に落ち着いた時期に入り、かかってくる電話がグンっと減ったタイミングでのデビューで、7時間でとった電話は6本だけという研修以上に暇な状態。
そういう訳でバイトの人たちはシフトが減らされ、休みの日に、たまたま昨年のスペインの歩き旅で出会った人とのご縁があって、思い立ってあるボランティアに参加した。
その日に、そしてこれまたたまたまその会場で、私の持っている資格の求人を見つけたのである。ビビビっときたので即電話したら、求人の締め切りが3日後とのことで、急いで履歴書と職務経歴書を書いて、郵送では間に合わないのでコールセンターのバイト終わりに持参した。
そしたら、すぐに面接という運びになり、コールセンターのバイトの休みの日に面接を受けに行って、志望動機を聞かれて、流れ流れてビビビっときたからですというムダ話をして、面接中に「あ、これは採用決定やな」と手ごたえがあり、翌日コールセンターの昼休みに採用の連絡を電話で受けた。ちなみに自分の携帯にかかってくる電話はちゃんと「もしもし」と言って出ても良い。天才なのでもうちゃんと使い分けができている。
採用の連絡の後、仲居のバイト仲間の、中身が小学1年生みたいな20代男子から「今日、大阪行くから、たこ焼き一緒に食べよー」という連絡が来た。
あのね、私小学生じゃないのよ、学校帰りに寄り道して駄菓子屋行こーじゃないのよ。忙しいのよ。また今度ねってことで優しくお断りして、その次の日がコールセンターのバイトの最終日で、自分が一体何の役にたったか分からないと思いつつバイトを終えた。
それから、「旅から帰ったら一緒に働こう」と誘ってくれていた人に会いに行き、丁重に断った。その流れで一緒に飲みに行って、新しい門出を祝っていただき、次のところを辞めたら今度こそ一緒に働こう、5年以内にねと言ってもらえた。
最後の連休に、大雨の中、淡路島に弾丸ドライブ旅行に行き、そんなこんなであっという間に三月が終わった。


4月上旬

2週間前にはまだ、4月からどうするか決めてもいなかったが、4月1日にちゃんと社会復帰をした。
前職の業界とは少し違うが同じ資格を使う仕事で、新人なのにいきなり管理職である。
ちなみに面接の当日、昔のスーツを引っ張り出して15年ぶりに着てみたら、太っていてズボンが入らず、よく分からない黒いゴムのズボンを履き、ジャケットも息を止めてボタンを留めると、ボタンとボタンの間から白いインナーが見えて白い8の字が浮かび上がるみたいな仕上がりになっていて、常に手で隠し、靴も黒い靴はブーツしかなかったのでサイドゴアブーツを履いていて、全身がちぐはぐで恥ずかしかった。4月1日も辞令等の場ではスーツ推奨とのことで、今度は7分丈のオーバーサイズの黒ジャケット(急遽買ったが7分袖で驚いた)と黒のスキニーパンツ、そして黒ブーツというえらいパンクなスタイルになってしまい、満員電車にぎゅうぎゅうに詰め込まれて、1年4ヶ月のブランクがあっという間になかったかのように、いっぱしの月金で働く人間へと戻った。前職と違って、大阪市内での職場となり、驚くほどコテコテの大阪弁が飛び交っていて、1ヶ月間のもしもし大阪弁禁止令の敷かれた世界にいたせいで、「ほな」「ええですけど」「せやかて」「せやねんせやねん」と聞くたびに、ほっとしている今日この頃。



私の「せわしない」日々はこんな感じでした。
こうして、あっという間に畳み掛けるように、今シーズンののんびり生活が終了となったのですが、またフルタイムで働き始めたらそれはそれでせわしなくて、体がまだ慣れないので体調を崩さないように、2日に1回は20時半に就寝をキメこんでいます。
そんなわけで、温泉もキャンプも行けなかったのですが、何とかスペイン語の試験の申し込みはすべりこみで行い、後は勉強するだけ、と思いながら毎晩眠っています。良い春にはなっていきそうです。


noteを書き始めて48ヶ月が経ったわけですが、コロナ禍の3年は多忙な仕事に追われながら毎日のようにnoteを書いたり、ダイエットしようとしてみたり、キャンプに行ったり、上手に時間のやりくりをしていたんだなあと、過去の自分に感心しています。
15年間医療現場で働いていたと思ったら、退職して世界を11ヶ月旅して帰ってきて、仲居のバイトをしたと思ったら、コールセンターでのバイトの研修を経て、大阪市内で大阪弁をふるいながら働いている今。意味不明人生バンザイ。

4月1日の昼に、今の職場のある町の紙の地図をもらってきて、地名やいろんな店の場所などをチェックしていて、ふと旅で新しい国や町に着いたときと同じことをしているなあと思いました。
私は古からの旅人なので、GoogleMAPももちろん使うけれど、まずは紙の地図を手に入れて眺めたいのです。4月から働き始めた町はよく知らない町なので、これから少しずつ発掘して行くのが楽しみ。
職場にはすでにありとあらゆる問題が山積みですが、旅のエッセンスを取り入れたり見つけたり感じたりしながら、なんとか来月までいいリズムをつくっていきたいと思っています。

48ヶ月の記念すべきのりまき記念日なのに、だらだらとこの1ヶ月についてだけを書いてしまいました。たまにはこういう月もあるよね。
1年前は、インドから緊急帰国して日本で静養し、思いがけず見ることができた桜。今、1年前のnoteを読んで、ああこんな感じだったなぁと懐かしく思いました。(↓)

あの頃からもう1年経ってしまったとは信じられないけれど、あの頃よりも体調は絶好調であることは、嬉しく思っています。
また、帰国から4ヶ月ちょいで、体重が8kg増えたことは非常に残念に思っています。なんでこうなった。
来月は奇跡的に体重が戻っていることを夢見て。

読んでくださっている方々、さようでございます。
もしもし、いつもあざーっす。
これからも、気が向いたら旅の続きを綴っていくので、気が向いたらまた遊びにいらしてくださいませ。


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