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ガイドブックを持たない旅が好きだ…

ここ近年の私の旅は、割とガイドブックを持って行かずに
フラッと行ってフラットに旅をしている。
旅することに慣れてきたというのもあるし、
同じ国に何度も行っているせいもあるし、
あまり荷物が重いと腰が痛いというのもあるし、
Googleマップが優秀な働きをするので、昔ほどガイドブックが必要ないというのもあるし、
スマホで必要なページをパシャっとやれば本はいらないというのもある。
タブレットで電子書籍として入れてたり、必要な所だけ自炊したり、まあ便利になったおかげもある。

ただ、ガイドブックの
「地球の歩き方」は読み物として好きだ。

「地球の歩き方」は一部では「地球の迷い方」とも揶揄されているが、ガイドブックと言うより、所々詩的な文章があるのが好きだし、竹内みたいな詐欺にあった体験談や、ページの下に小さく書かれたクチコミ情報を読むのも楽しい。誰かの旅が少し感じられる部分が好きなのかもしれない。
また、建築物の歴史的背景がコラムで説明されてたりするページも好きで読むし、
宗教問題などのとっかかりには、歩き方のコラムくらいがちょうど良くて、その後興味が出たら何か専門的な本を読むことになる。
読み物として地球の歩き方は優れているように思う。

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少し前に、地球の歩き方を100冊読んで最も詩的な一節を発表していたサイトが話題になったが、
一位のインドには文句のつけようがなかった。


私が初めてインドを放浪した20代の時と同じ文が、
40代の今、販売されている地球の歩き方にも掲載されていて、
それがとても良い。
とても好きで、この文のファンだから、
地球の歩き方のファンと言っていいくらいなので、
長くて幅を取るけど、ここに引用を載せたい。

「インドへの誘い」

インド。
それは人間の森。
木に触れないで森を抜けることができないように、
人に出会わずにインドを旅することはできない。
インドにはこういうたとえがある。

深い森を歩く人がいるとしよう。
その人が、木々のざわめきを、
小鳥の語らいを心楽しく聞き、
周りの自然に溶け込んだように自由に歩き回れば、
そこで幸福な1日を過ごすだろう。

だがその人が、
例えば毒蛇に出会うことばかり恐れ、
歩きながら不安と憎しみの気持ちを周りにふりまけば、
それが蛇を刺激して呼び寄せる結果になり、
まさに恐れていたように毒蛇に噛まれることになる。

インドは「神々と信仰の国」だという。
また、「喧騒と貧困の国」だともいう。
だが、そこが天国だとすれば、
僕たちのいるここは地獄なのだろうか。

そこを地獄と呼ぶならば、
ここが天国なのだろうか?
インドを旅するキミが見るのは、
天国だろうか地獄だろうか?

さあ、いま旅立ちの時。
インドはキミに呼びかけている。
「さあ、いらっしゃい!
私は実はあなたなのだ。」

ああ、久しぶりに読んでもしびれる。
この文章にしびれてインドに行き、
インドでしんどい時や辛い時、
お腹を壊して夜中にトイレを往復した地獄みたいな夜も
インド人に優しくされておもろい体験をした夜も、
地球の歩き方を開いてこの文章を読んだ。
最後のインドの呼びかけがいい。

インドの歩き方は、そういう使い方だったので、
あまり他のページは見ていないし記憶にない。
Googleマップで地図が見れて、何でもスマホで調べられる今、より一層、ガイドブックは必要ではなくなってしまった。

初めての場所でも、
モロッコ、シャウエンでは現地の人に色んな情報を書き込んでもらった紙の地図1枚で事足りたし、
ポルトガルのポルトも、旅で出会った人が勧めたからという理由で、地図も何も持たずに乗り込んで、ポルトガル語が読めず、ここはどこ?状態でも問題なく楽しめた。

地球の歩き方を旅から帰ってきてから復習で見返すこともあるが、それも1,2回見る程度で本棚行き。
あまり事前に調べすぎてもつまらないし、
事前にガイドブックに載っている写真を見てしまうと、
実際に見た時の感動も減る気がするし、答え合わせみたいな観光になってしまって嫌だ。
だからもう最近はガイドブックは見ないし、見ても、大体の位置関係とか、歴史的な背景を読む程度、図書館で借りることはあっても買わない。
図書館の本は旅先でなくすと怖いから、
旅立つ前に、全部読む前に、返却している。
地球の歩き方は買っても、
太くて重いので少しでも荷物を軽くしたいから、
やっぱり結局、旅にガイドブックは持っていかない。


と書いているうちに気づいたが、
私の本棚に、
ガイドブックが何冊も並んでいる国を一つ発見してしまった。
それはどこかと言うと、
意外にも、台湾だ。
何度も行っており、台湾のICカードも持っていてこれで地下鉄にも乗るしコンビニで買い物もしているくらい慣れていて、路線図も見なくても地下鉄に乗れるくらい覚えてしまっているし、泊まる宿も決まっているような台湾なのに、
ガイドブックが何冊もある。毎回買っている気がする。
行く前に、つい反射的に最新版のなんらかのガイドブックを買ってしまうのだ。

その答えは、
食だ。
台湾は、最近は美味しい台湾料理を食べに行くのと、
友達に会いに行くのがほぼメインの目的なので、
最新の小籠包事情や夜市事情、食べたい物を見つけるためにガイドブックを知らず知らずの間に、しょっちゅう買い足してしまう。

インドの詩的な文と同じくらい読み込む。
「小籠包の皮の厚みが〜」
「エッジの効いた味付け」
「肉汁が〜」
「炒飯グランプリ優勝の〜」
「ここのスープは絶品。」
「門外不出のレシピ」
などなど。
よだれを我慢しながらじっくりと読む。
詩のように想像しながら読み込む。
そしてその味を確かめに行く。
これこそ正しいガイドブックの使い方のような気もする。

そうだ、分かった。
私のガイドブックの使い方は、
①読み物として読む
②ミシュランガイドみたいな感覚で読む
この2点だ。

なので、
「ガイドブックを持たない旅が好きだ…
だけど、この2点の目的で
例外としてガイドブックを家に置いて時々読んでいる」
に訂正しようと思う。


見出しの写真は、
メキシコシティの図書館の旅行雑誌コーナーの本棚。
独学でかじってるスペイン語も、旅行雑誌だと知ってる単語(主に地名)が多くて、スペイン語の本をスラスラ読めている気がして自己効力感上がる。





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