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疎遠じゃなかった特別な友達のこと

疎遠になっていた特別な友達から、あのnoteを書いた後、突然の手紙が届いた。


先月が私の誕生日ということで少し遅れてバースデーレターという形で届いていて(彼女はきっちり物事を予定通りに行えないタイプである)、郵便ポストを日常的にチェックすることができない怠惰な私は(何かが届く予定の時だけポストをのぞくので溢れかえったチラシやDMにうんざりするタイプ)更に大分遅れてその手紙を受け取った。
簡潔で短い手紙だったが、すべて伝わる手紙だった。
一番近くに感じていたのにこんなにも長い期間会わなくなる日がくるとは思っていなかったこと、自分もこんな世の中でほとほと疲れ果てていて、私と会って上手に面白く話せるか自信がなかったこと、でも取り戻せてきたこと、その上でこのまま会えないのは嫌だと思った、ということが書かれていた。

笑ってしまうくらい同じ感覚だった。
そして、何を取り戻せたかは書いていなかったが、面白く話せるかはどうやら大きなポイントらしかった。
いいのに別に。それにいつでも何でも絶対面白く話せる人だし。

手紙を読んだことをLINEで伝えて「私の誕生日がこのタイミングで本当に良かった」「今までくれた誕生日プレゼントの中で一番センス良かったで」と送った。(全然絵がうまくないのに、絵の具で描いた変な私の似顔絵を額縁に入れてくれたことがある人なので。)
実は私も何度か手紙を書きかけたが出せずに終わっていることを伝えた。
そして、手紙に書かない代わりにnoteに長々と書いたこと、色んな人が友達付き合いでモヤっとすることがあると知ったり、色んな人から素敵な言葉をもらったりしたことなどは伏せた。
そしたら「生きててくれてて嬉しいわ」というのと「手紙の文章、なかなかええやろ?」と返ってきた。
なかなか良かったですよ。
心で呟いた。

「昔みたいに交換日記始めようかと提案しかけたけど、お互い無理は禁物やからやめた。
手紙は一方的でいいかも知らん。
返事も期待しないし。
また手紙書くわ。
返事は気にしなくていいから。
私が書きたい時に書くだけやから。」
というLINEも来て、らしいなあ、と思った。

昔、と言っても小学生とかではなく、私たちは20歳の時に、家から離れた繁華街の中にある一流ホテルのバーラウンジで出会った。当時の私のアルバイト先である。
大人になってからできた初めての友達で、それから22年間、濃密な関係を築いてきて、コロナ禍以降数年、疎遠となった。
彼女は社員で私はバイトで、偶然にも同い年で隣の中学校出身で共通の知り合いもいたりして、帰り道が一緒になり距離が近づいて仲良くなったのである。
最初はお互い苦手なタイプだった。
私は、化粧が濃くて感情的で意地悪で口調がきつそうな社員の彼女が苦手だったし、向こうも向こうで、入ったばかりの、すっぴんでバイトに来て、マナーは悪くてガサツでしょっちゅう飲み物をこぼすくせにへらへら笑っているバイトの私が嫌いだったようだ。
それが不思議なことに、職場の飲み会終わりに(この頃は今の私と違って、飲み会に積極的に参加していた。楽しかったから)、2人で終電を逃して朝まで一緒に梅田の駅前のヒルトンホテルの信号の前で座り込んで時間をつぶすこととなり、色々と過去の恋愛や家のこと、これまでの人生などを語り尽くしていたら、いつの間にか朝日が昇って、電車が動き始めて、親友になっていた。

それから面白いくらいに生活が変わった。
彼女とよなよな遊びまくって大学の授業は全くついていけなくなったし、朝帰りが増えて親には見放されたし、リップグロスも塗るようになった。
色んな合コンに繰り出してはそこに来ていた男のことをネタにその後しばらく悪質に笑い続けた。
何回目かの合コンで見つけた私の彼氏(顔はかなりのイケメンだったが中身はダメ男だった)が実は浮気していたことが分かった時に、彼女はカラオケで中島みゆきを歌ってくれて、そのせいで長渕剛と中島みゆき、米米CLUBの歌に詳しくなったし(その後もカラオケで散々聞かされた)、1日に5時間くらいバイトして稼いだ少ないバイト代のすべてをバイト帰りの飲食代に費やすなどという愚行を彼女と繰り返していた。
そのせいで今も貯金ができないんだと思う。
本当にバカだったと思うが、私を連れ回していた彼女にも責任がある。
2人で和歌山の海に行って、そこらに浮いてたワカメを頭に乗せてロン毛ヘアごっこをして遊んだ。20代前半の女2人組だったのに、私たちをナンパをする男など1人もいなかった奇跡。
彼女がなぜかサンオイルを持ってきて体に塗られたせいでシミが増えたから、これも責任をとってほしい。

とはいえ。
楽しかったんだよなあの日々が。
毎日毎日バイトで一緒に過ごして、その帰りも飲みに行って一緒に過ごして、バイトが休みの日は家の近所のファミレスで会って喋って、それでも話し足りないから交換日記をしよう、と彼女が突然ノートを持ってきて、しばらく続けていた。
何を書いてたんだろうか。
どうせくだらないことだし、当時の彼氏や好きな人のことだったと思う。

「交換日記」というワードが彼女からのLINEに出ただけで、ここまでに書いたことの色んなシーンが頭に浮かんだ。
そして、多分向こうも同じだと思う。
彼女は策士なのでわざと「交換日記」というワードを出したんだろうと思う。
まんまと引っかかった。
お互いが実家を出て一人暮らしを始めたり、引っ越したり、恋人と住んだり、結婚したり、子供を産んだりした隙間にも、各地のガストでドリンクバーを飲み尽くして喋り尽くしてきた時間。
これは本当にどうでもいい話ばかりで、無駄な時間であり、夜中のフライドポテトと大量リピートのメロンソーダはただただ太る道のりであり、何物にも代えられない歴史である。
そういや、予定日を過ぎても全然子が生まれる気配がなくて、「長い間(妊娠中)我慢してきたけどどうしてもマクドのポテトが食べたいから付き合って」と臨月の彼女が言うため、仕方なくマクドに付き合ったら、食って喋った数時間後に産気付いて生まれるという事件もあった。
「マクドのポテトのおかげで生まれた」と代々語り継いでいこうとなった。これも歴史だ。
子が生まれてすぐの時に会いに行ったら、彼女はずっと股が痛いと言っていたし、妊婦として最高齢だと思ってたら、同じ日に生んだ隣の部屋の人が48歳でまさかの歳上だった話をして笑っていたし、笑うたびに股が痛いと押さえていた。今思い出しても笑える。これも歴史。


私の文章力のなさのせいで、前回のnoteでちゃんと伝わりきらなかった部分もあるし、自分自身の後ろめたさや自己嫌悪もありネガティブになっていたが、私たちの歴史=絆はこのまま終わるはずがなかったのである。
この2年間のブランクはすぐには埋まらないかも知れないけど、気持ちは同じだということが分かったからそれで十分だと思った。
同じ頃に、私はnoteを書いていて、彼女は私に手紙を書いた。
それが全て。
ちゃんと分かっていたはずなのだけど、見失いかけていたので、確認し合えたのは良かった。

「来年はもっとのりまきと会える自分になってると思う」とも書いてあったので、「悪いけど、来年は1年間は会えないよ」という返事の手紙を送りたい。
意味深で匂わせな手紙。
そしてそのネタバレを今年中に会って話そう。
これくらいの意地悪テイストは彼女の好物だから謎を残すことを喜んでくれると思う。
私が多分世界一周するということは予想外だと思うけどどうだろう。
まだ彼女とは会えないが、歴史はまた作られていく気がした。
しめちゃんにも報告をしたい。
ほらな、って声色も表情も変えずに言ってくれると思う。


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この2年間は、会いたい人なのか会いたくない人なのか、自分が大切にしたい人なのかそうじゃない人なのかをジャッジする力が弱っていて、「人と会う」ということ自体が自分にとってとても負担なことになっていたのだろう。
だけど2年間を経て、これまで以上にはっきりと自分にとって必要な人かそうでないかが見えるようになったし、「ディスタンス」という言葉の下に、堂々と面倒な人間関係を忌避できる社会になった気もする。
気乗りしない誘いを簡単に断ったって別にいいし、感染対策を言い訳にできたりするから、断っても深追いされない時代になって本当にありがたい。コロナ禍を経て唯一良かったことだと感じている。

会いたい人に会うこと。
こんなシンプルなことができなかったし、会いたいとあまり思えなかった2年間だった。
でも、トンネルは抜けた気がする。
人の悩み事の9割以上が人間関係だし、人間関係の悩みのほとんどが距離感がバグっているせいだというのが私の偏った持論であるが、私と同じようにもやもやしている人も、会いたい人に会える時間を持てますように、と願ってしまうくらい広い心を今は持てている。
「友達100人出来るかな」ソングのアンチ人間として、できるだけ人間関係を最小限にして、少ないけどとても大事な他の友達とも、もう少ししたら、笑って会いたいなあと思っている。



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