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「育てにくい子は、長い目で見れば、心配のない子です」

というのは、
「ひといちばい敏感な子(The Highly Sensitive Child)」
(エレイン・N・アーロン著/青春出版社)
に出てくる一節だ。

長女が幼かったころ、
「この子は育てにくい」と夫の母から言われたことを
「はまざ長女と蘭の花」に書いた。

だがこの本の「HSCかどうかを知るためのチェックリスト」を見て、
長女以上に長男がHSC(=Highly Sensitive Child)の要件に
当てはまっていたと気がついた。

「すぐにびっくりする」
「服の肌当たりを気にする」
といったことを始め、
ユーモアのセンス、
出来事への感受性の強さ、
一人遊び、
集団遊びに傍観者でいようとすること、
深い質問などなど、
思い当たることばかりだった。

しかし、子育て中に長男を「育てにくい」と思ったことはなかった。
それはおそらく、私にも同じ要素があったからであろう。

ただし「この子は注意して育てなくては」と思ったことが一度だけあった。
3歳ごろのこと、𠮟責されてうつろになってしまった彼を見たときだ。

そのころ私は「24人のビリー・ミリガン」という本を読んだばかりだった。
その、主人公が多重人格を生み出した最初のきっかけと、
長男のうつろな表情が重なってしまったのだ。
そんな不幸があってはいけないと
一時期そればかりを考えていたことがあったような気がする。

書いていて思い出したのが、
彼自身の転機でもあったかもしれないのが5歳ごろのこと。
近所の公園でタイヤ跳びをしていたとき、
家族5人で跳ぶ順番を自分で考えたというのだ。

最初の跳ぶ人は5通り、その次跳ぶ人はそれ以外の人の4通り、
その次跳ぶ人は、、と考えて5×4×3×2×1という。いわゆる順列である。
彼は「自分で思いついた」と言っていたから、
おそらく今でも誇りに思っている出来事だろう。
いつだったか
「ぼく、そんなちいさかったころに順列がわかっていたよ」
と得意げに言っていたことがあった。

そして、そうした出来事をいくつも積み重ねて
自己肯定感を高めていったのだと思う。

長じるにつれて、どんどん積極性をもって
新しい世界を目指すようになった。

もちろん
「育てにくいタイプの子は傷つきやすさを隠しています」
にもうなずくところはたくさんあったが、
「育てにくい子は、長い目で見れば、心配のない子です」
は本当だった。

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