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あちらにいる鬼 井上荒野  

書いたひとはもちろん、書かれた人も小説家。
一人は小説家の妻だけれど、実際には彼女も小説を書いていたらしい。
いやぁ、小説家おそるべし。
書いた人、書かれた人、全員鬼である。

井上光晴とその妻、瀬戸内寂聴(瀬戸内はるみ)をモデルに、井上の娘である井上荒野が書いた、表面上はある意味穏やかな、実は壮絶な三角関係のお話。
3人をモデルにした小説とはいえ、寂聴さんには何度もインタビューをしたそうだし、ほぼほぼ事実なのだろう。
本の中では「みはる」「笙子」「白木」となっているけれど、
「寂聴」「奥さま」「井上」で書いていきます。

奥さまと寂聴さん、男を取り合ったのではなく、「井上光晴」を取り合っている。
才能はあるけれど人としてはどうしょうもない井上光晴が、最後にどちらを選ぶか、あるいはどちらが最後まで彼を受け入れ、許し、好きでいられるかを競っていたように思う。
小説の中だけでいえば、奥さまの勝ちですね。
まぁ勝ち負けではないし、決着はつかないけれど。

井上光晴が亡くなって7年後、奥さんは寂聴さんが住職を勤めたお寺に彼のお骨を納骨する。
断られるだろうと思いつつ自分が眠るつもりの墓地に納骨しないかと誘ったのは寂聴さんの執着だし、あっさりそうしましょうと答えたのは、奥さんの意地だ。
この奥さま、井上の浮気を騒ぎ立てることはしない。
家庭内での修羅場はほとんどなかったと思われる。
寂聴さんからの電話も淡々と受けるし、井上を責め立てることもしない。
修羅場は、ただただ、彼女の胸のうちにだけある。
3人それぞれがこころの中に秘める「あちらにいる鬼」。
井上はやりたい放題という形で鬼を解放してやっているし、
寂聴さんは出家することでその鬼を飼い慣らそうとしたのではないか。
死ぬまで自分の鬼をじっと見続けた奥さまの鬼が一番怖い。

そしてこの小説を書ききった井上荒野の鬼といったら!
まず「荒野」という名前をもらった時から、
この人の鬼はどんどん成長することを運命ずけられたでしょう。
自分で臨んだわけではないとしても、親のスパルタ教育で鬼は力をつけていく。それが見事に花開いたというか。

ひとつ思い出したのは林真理子の「奇跡」。
こちらも実在の人物の不倫を書いたものだけど、正直失敗作だと思った。
まだ皆さん生きていらっしゃるし、そうなると書けることと書けないことがあるのだとは思うけれど。
林真理子の小説で面白かったものもたくさんあるけれど、
これは鬼になって書いたものではないのだな。
林真理子さん、きっといい人だ。
日大の理事長も上手くやってくれる。
皮肉ではなく、そう思う。

鬼は鬼どうし、惹かれ合うものなんだろうか。
奥さまと寂聴さんの関係も、どちらも井上から離れられない同志のような気持ちと同時に、お互いに相手の奥にいる鬼をもっと見てみたいという気持ちはなかっただろうか。

こんな風には生きられないけど、私の中にちっちゃい鬼がいることも発見した。




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