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残された人が編む物語ー桂望実

疎遠になっていた人が亡くなっていたことを知る。
行方不明者捜索協会の西山静香の元を訪れた人々が
静香の助けを借りて、その人が亡くなるまでの人生をたどっていく。
自分が知らなかった、「その人の物語の部分」を埋めていくことで
その人がいなくなったことを自分に納得させていく。

そういえば、「空白を満たしなさい」というドラマがあった。
阿部サダオがあまりにもいやな人間をうまく演じていて、
危うく阿部サダオを嫌いになるところだった。
平野啓一郎の小説が原作とのこと、これも読んでみたいな。

ずっと在宅で介護をして、最後の一月は仕事も休んで家から一歩もでなかった。いよいよとなってからは、夜も手を繋いで寝た。
ちゃんと見送れたと思う。
それでも、月日が過ぎるうちに、あれこれ考えてしまう時がある。

意思の疎通が難しくなって、夫がどうして欲しいのかがわからなくなってきてからは、ほぼほぼ私の判断で決めてきた。
胃ろうはしないとか、入院はしないとか、大きなことはさほど判断を間違うことはなかったと思う。
でも、もっと些細なこと、ベットはリビングに置いてよかったかとか、
食卓で座る位置はあそこでよかったかとか、
着るものに不具合がなかったかとか、
何か食べたいものがなかったかとか、
ちょっとしたことを思い出しては
「後悔」のようなものがどっと押し寄せてくる。
食事をしている時に「あ、夫の席からじゃテレビが見えにくかったな」と
ふと考えてしまう。
食べさせるスピードはあんなもんでよかったかとか、
暑がりな夫には私より一枚少なく着せたほうがよかったんじゃないかとか、夜中に目が覚めてしまった時に何考えてたんだろう、
テレビは夜中も付けっ放しにしておけばよかったかなとか。
次々考えはじめると、「取り返しがつかない」という思いがどんどん膨らんでしまう。

言葉が出にくくなってから文字盤をつかうことを提案されたりもしたが、眼球がうまく動かない夫とは、文字盤を使ってやりとりすることができなかった。
それでも、夫が何を思っているかを知るために、私はもっともっといろんなことをやってみるべきだったんじゃないだろうかと苛まれてしまう。

「真実なんて誰にもわからないんだよ。だったら好きな物語を大切にしていけばいいじゃないか。」
西山静香のパートナーである史郎は静香に言う。

その通りだ。その人が本当は何を思っていたかなんて、誰にもわからない。
だったら、その人のために私が編んだ物語は私の好きなものでいい。
なぜなら、その物語は残された人が生きていくための物語だから。

必要な言葉は必要な時にちゃんとそこに用意されている。

それにしても、人はなんで人生に物語を欲しがるんだろう。
「生まれて来たら死ぬ」ことは、誰にとっても間違いないことなのに。

#読書感想文

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