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「カメラ」なの?「写真」なの?

【「カメラ」好き、「写真」好き】
写真を撮るのを趣味にしている人は多い。鉄道写真、などもそのうちだろうが、あなたは「カメラ」が好きなのか?あるいは「写真」が好きなのか?ちょっと立ち止まって考えてみよう。これを明確にしておくと、今後のあなたの作品が変わっていくかもしれない。

【「目的」と「手段」】
まずは原理原則に立ち返って考えてみる。これは簡単だ。「写真」を撮るための「道具」としてカメラがある。写真は子供の成長記録のような「記録」であったり、他人に見せて評価してもらう「作品」だったり、あるいは「商品」だったりする。また、商品の写真を撮ってそれを見せて、商品を買ってもらうのが目的、という「他の商売の補助のため」かもしれない。趣味にしている場合は「カメラ」を所有していることや、持っていることが趣味の人が多い。一方で出来た作品が大切、という人もまた多い。この趣味の場合は、どちらを選ぼうが特に生死に関わる大事ではないから、これはどちらでも良い。その人の好みによる。

【写真が好き】
自分の場合は写真の作品を作ることが趣味だったし、あるときはそれを使って仕事をしたりしたが、そこでも重要なのは「出来上がった写真」だった。つまり、出来上がった写真が良ければ道具は問わない。そのために道具にお金をかけた。

【カメラが好き】
一方で「カメラが好き」という人がいる。自分の持つ高価なカメラを自慢する。あるいは安価でも「こんなカメラがあるんだ」というものを持っている。それを集めるのが趣味の人もいる。しかし「カメラを作るのが好き」という人はまず見ない。

【「写真好き」と「カメラ好き」】
かんたんに言えば「写真好き」は、出来た作品に愛着を持つ。「カメラ好き」は、自分の所有物に愛着を持つ。現代の商品として売られているカメラのレベルのものを自分で作るのは困難を伴うことが多いうえ、工作機械など多くのお金が大変にかかる設備や設備を置く場所、その設備の保守、一人ではできない様々な作業などに、とても個人では無理な経済力が必要になるから、通常はどんな高価なものでも「買う・所有する」で満足せざるを得ない。結果として多くの「カメラ好き」は、資本主義社会における「消費者」となることが普通だ。別に悪いことではないのだが、そこからの「文化的広がり」は「何を買うか」ということに集約される。自分が消費者である、という場所に居続ける。趣味だから、それはそれでその人の勝手。それでいいのだが、一方で「写真好き」は、「カメラという商品」を買ったところから「文化的拡がり」を体験し楽しむ、ということになる。

【ぼくは写真が好き】
「カメラ好き」は「他の人の作った商品を買い続ける」という「消費者」で始まって終わる。自分の世界の拡がりが作れない。「写真好き」は、カメラを手に入れたところから、自分の世界の拡がりを体験する。自分は「写真好き」だ。だからカメラをたくさん持つ、ということは喜びではない。良い作品をたくさん作ることが喜びだ。

【あなたはどっち?】
あなたは「カメラ好き」?、それとも「写真好き」?

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