見出し画像

「デジタル時代」の「戦争」を考えてみよう。

今日、日曜日は終戦記念日で、いろいろなところで、様々な立場で「第二次世界大戦・太平洋戦争」のことについて書いた記事があったり、集会もあったのだろう。ネット上でもClubhouseなどのroomで、戦争について語っているものがいくつかできていた。しかし、この記事では、どの立場に立つ、ということではなく、まだ我々人類が経験したことのない「デジタル時代の戦争」がどうなるのか?を考えてみよう。

【まず、なんのために「戦争」をするのか?を考えよう】
第1次世界大戦、第2次世界大戦ともに、基本的なものは「植民地争奪」のための戦争、ということがほとんどだ。現在、中東での問題なども「土地の所属を争っている」。そして、「土地」には、そこに暮らす「人」がいて、経済があり、労働力があり、土地が農業に適していれば作物があり、家畜もあり、石油などのエネルギー資源があれば、さらに良い。ダイヤモンドなどの希少で高価な鉱物資源、レアアース、半導体の原料、などなど「資源」も「土地」にある。「土地を取ること」は、そのまま、その土地を取った「国の政府」の「利益」である。当然、取られたところは「利益」ではなく「損失」になる。特に大きな軍備で戦争をするとなれば、そのためにかかるお金も膨大になるので、感情とは別に「大きな経済効果」がなければ「戦争」をする意味はない。逆に「守る」ほうは、膨大な損失を防ぐために、その損失にならないように、膨大な防衛のための支出をする意味がある。第一次、第二次世界大戦とはつまり、そういう「戦争」だった。逆に言えば、経済効果が無いのに「攻める」「守る」のは、意味がない、ということになる。個人のする喧嘩ではないから「感情」だけで、戦争はできない。ソロバンをはじく必要がどうしてもある。「戦争には勝ったけど、国が潰れた」では意味がない。

【現代は「徴兵制」が減っている。が】
実は、現在、多くの国で徴兵制を取らない国が増えているという。なぜかというと、最近の兵器は小銃から飛行機に至るまで「ハイテク化」されており、それが扱える訓練も結構時間もかかるので「情弱」では歩兵にさえなれない、ということだそうだ。新兵をいくら連れてきてもすぐには使えず、意味がなくなってきている。と、まてよ?そうなると「プログラマー」って、一番徴兵されやすいのか?

【核兵器を使うと】
核兵器も、それを使うと、数十年は放射能汚染でその地は使えないのがわかってきた。建物から農作物まで、その土地にあるものは破壊されていなくても使用忌避の対象になる。同じことは生物兵器にも言えるだろう。その土地の人を全滅させても、新しい人を別の土地から入れたら、その土地を復興させて収益が上がるまでにしなければならないので、そのコストがかかるはずだ。そうなると、その土地に元からいる人を労働力として元の仕事のまま使う、というほうが遥かに効率がいい。つまり、核兵器は「こんな怖いもんオレは持ってるんだから、使うぞ。だから、言うことを聞け」というための「脅し」に持っている、ということになる。実際に使うと、損失のほうが大きくなることも 多いのじゃないかと私は推測する。しかも不平不満ばかりの「元・敵」を労働力に使えば、当然レジスタンスなども始まるだろうから、その「元・敵」を抑え込むのに、コストもかかる。さらに効率が下がって、戦争の結果の損益分岐点がさらに遠くに行ってしまう。「元・敵」をうまく取り込んで「気持ちよく仕事してもらう」のが良いのだ。

【特攻隊はどうなる?】
日本では太平洋戦争時、その最後で、やむにやまれず「特攻」をした。当時はデジタルのインテリジェントな兵器が無かったので、人間がコンピュータの代わりをしたのだ。が、そういう兵器を敵も味方も持つとすると、互角に渡り合っていつまでも破壊のしあいが終わらない、ということになるだろう。そうなると勝っても意味がない。敵と味方でゲームで決着つけたほうがいい、みたいな感じになる可能性はあるのじゃないか?。先般の戦争で命を落とした人たちのことを思えば、胸が締め付けられる思いだが、将来はそうならざるえを得ないのではないか。現代のプレデターや、スマート銃、インテリジェントなミサイルなどのハイテク兵器は、敵と味方の「お金・物量の勝負」でしかなくなっている。しかも、こういったデジタル技術はより安価になっている。20年前に億の値段がしたコンピュータは今や数千円で手のひらに乗り、秋葉原で売っている。最近は中東のゲリラのようなところでも、ドローンで「特攻」している。

【おそらく、将来の戦争は】
おそらくデジタル時代のこれからの戦争は「土地」とそれに付随する「資源」を取るのに、これまでのようなお金のかかる方法ではなく、サイバー戦争で水道や電気を止めるなどの都市部の機能マヒなどを行って、昔で言う「銃後」から最初に落として行き、ある日、時の「これまでの政権」が、戦勝国の「新しい政権」に、その権益を渡し、直ぐにインフラの復旧をして、また庶民の生活が戻ってくる、というようになるのじゃないかと思うのだ。それが、戦争準備、戦争中、戦後復興のいずれのフェーズにおいても一番コストがかからず、戦勝国の政府の目的が、最小の時間と投資で行えるからだ。って、それ「普通の庶民」であれば、勝っても負けてもいいんじゃ?みたいになるのか?

昭和は遠くなった、のかも知れない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?