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「モダンタイムス」の時代が終わる。

【「名作」?】
「名作」と名高いチャップリンの「モダンタイムス」を、改めて見る機会があった。自分としては、どこか引っ掛かる。違和感があるんだね。

【ロボットとAIの時代】
いま、始まっている「ロボットとAIの時代」は、モダンタイムスを完全に過去のものにする。それが見えてきた時代になったからだ、と、ぼくは思うけどね。

【改めて見るその映画のあらすじ】
モダンタイムスと言う映画を改めて見ると、現代のほとんどの日本人にはあまり響かないと思うが、主題は前半の工場労働のあの巨大な機械が出てくるなかで人間が右往左往する場面を伏線とした、むしろ後半の「資本家たち」と「労働者たち」の対立「労働争議」がかなり大きなものを占めているのがわかる。資本家は労働者を(できるだけ低賃金で)雇う。雇われた労働者の群れは生活苦になるから、必然的に共産主義に傾き、労働争議を起こす。その「米国共産党」に対するレッドパージが吹き荒れ、さらにそれ以下の生活をする人たちをも描くのがあの映画だ。ある意味、なにもかもが、今から見れば「古き良き(人間の)時代」なんだろうね。

【労働者の仕事はAIとロボットがやる】
貧しい人たちは「労働者」として雇われるが、その仕事は今から見ると「ロボットとAI」でやるべきことが当たり前になる「仕事」ばかりだ。あの時代は複雑なことを機械にやらせようとすると、不可能か・非常に高いコストがかかった。また、複雑な機械は故障も多く、その維持などにも人が必要で、人件費は機械より安い時代だったんだな。

【デジタル技術が変えた「労働」】
しかし、デジタル技術が元になった「技術革新」は、複雑に人のように動く「人の作った人にあらざるもの」を、作るに至った。「ロボットのような人間」より、同じ機能を果たす「本物のロボット」の方が安くて速くて正確。であれば資本家は労働者を雇わず、本物のロボットを買って使うことになる。事務作業も経営もAIが安価で正確で速くやる。ホワイトカラーは、経営者も含めて、人がやることに価値はなくなる。

【陳腐な過去の映画「モダンタイムス」】
おそらく、数十年後には「モダンタイムス」は陳腐なあまり意味のない過去の遺物、と言う映画になるだろう。「デジタル技術革新前には、こんなことがあったんですよね」という、ね。

【全ては生き延びるため】
人間は数万年の間、生き延びるために産業を発展させ、生き延びるために戦争をし、生き延びるために多くの技術革新を作ってきた。ビジネスの営みは、全て生き延びるためにあった。その生きる苦労をいかに減らすか、と言うことにひたすら答えを求めてきた。富と言うのは「生き延びる時間」をより長く保証し、労働の苦労を減らすものだった。しかし、「人間はもう生き延びるために働かなくていいんですよ」と、言う時代が目の前に迫っている。

【人類の定年退職】
多くの「人がすべき仕事」が人の手から消える時代が、そろそろ見えてきたんだね。前にも書いたが「人類の定年退職」のようなものだ。

さようなら「モダンタイムスの時代」。

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