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【ショート・ショート】「退職うつ」

※以下の物語はフィクションです。実在の人物、実在の組織、等とは全く関係がありません。

【退職の決断】

実は60歳になりましてね。退職しました。
あとは年金生活だなぁ、と、老妻と話し合いをして決めました。

定年までなんとか無事に過ごせました。

職場の役所では「65歳までなんとかいてくれ」って言われたんですが、持病の心臓病のこともあって、長くは緊張が続かない、ってこともあってね。退職を決めたんです。

妻も「子どもたちも自分の家庭を持つようになったし、とりあえず大きなお役目は終えたんだから、このあたりでゆっくりしてもいいんじゃない?私もゆっくりしたいし」。

そう妻は言っていて、その言葉をきっかけに、いろいろ考えた末に決断しました。

【退職の日】
そうこうしているうちに退職の日が来ましてね。

夏の暑い盛りで、役所も夏休み中ではあったんですが、上司も部下もみんなが集まってくれましてね。コロナでみんな帰省できなくて、東京にいた、ってのもあったんだと思いますけれども。

小さいけれど、小綺麗なフレンチレストランに夫婦で呼ばれましてね。簡単な食事会をしていただきました。食事会では「退職おめでとう」の垂れ幕まであって、驚きました。食事会の最後には、私達夫婦でも持ちきれないほどの大きな花束をもらいましてね。

ほら、そのときの壺が目の前の床の間に置いてあるでしょう?記念品の青銅でできた壺です。もちろん、当時もらった花束の花はもう枯れてしまって捨てた後ですが。壺は花束を入れてくれってことでした。でも花束が大きすぎて、全部は入りませんでした。壺の底には自分の名前と「退職おめでとう」の文字がきざまれていました。ほら、これです。

実はその退職の会の帰り、夫婦での帰り道ですけど、恥ずかしながら、運転していて感極まってしまって、路肩にクルマを止めて夫婦でしばらく泣きました。良い人生の思い出を作っていただいたと、今でも感謝しています。

【「うつ」になった】
退職後、半年ほどしてからでしょうか。「うつ病」になりました。

退職してからの「退屈な日々」を過ごすうち、気持ちが下向きになっていたんですね。食べるものも目に見えて減ってきていて、痩せ方も普通ではない、と妻にも言われまして。妻は地元の友人たちとの食事会とか、若い人たちとの対話会とか、そういったものがたくさんあるようで、退屈はしていないようでしたが、私が食事も取らずに日々痩せていくのを見て「あなた、病院で診てもらってください」って言われましてね。翌日、近くにある大学病院の心療内科にお伺いしました。そうしたら同じ病院の「精神科」に回されました。そこで先生から「退職うつ」の診断をされました。何でもそれまで忙しく目的を持って働いていた環境が急激に変わり「何もしなくて良い」となったので、精神が病んでしまった、ということだそうです。

その説明には納得しました。退職で私の周りの環境は激変したことは確かですし、私が食べる気力が無くなったのも事実ですから。

【「うつ」の最先端治療】
そこで、先生にはこう言われたんです。

しばらく薬を処方します。しかし、それでも良くならないときは、いま、米国で始まった最先端の治療方法があって、それをやろうと思っています。大変に申し訳ないですが、ここにその治療の同意書がありますので、すみませんが印鑑とサインをいただけますか?

そして、更に2か月が経過しました。やはり薬では良くならず、先生の最初のお話の通り「米国発の最先端治療」が始まりました。

その治療は、頭の当該部位にセンサーと電極を埋め込んで、適当な刺激を与えて、うつになる精神状態を解消する、というものでした。
最初に脳外科で、頭蓋骨の外部ですが、電極を埋め込みました。カードサイズのペラペラな電極でしたが、脳の状態を知るためのセンサーも内蔵されている、という説明で、センサーは常に脳の状態を直接調べ、刺激の効果があるかどうかや、危険があるとわかったらすぐに医師に知らせる、などの機能があるとのことでした。また、この電極兼センサーは脳の広い範囲を選択的に刺激できるので、刺激する部位をお医者様のコンピュータから遠隔で変更したりできる、とのことでした。また、問題があればすぐに外す、ということも説明されました。

センサー兼電極を埋め込む手術の当日、なんだか自分が最先端技術で、サイボーグになるような感じがあって、気持ちはどちらかということ、怖さよりも高揚感があったと思います。髪の毛を刈り、麻酔は部分麻酔でしたが、手術は滞りなく、時間内に終わりました。

手術後は、その電極につながる「コントローラー」を渡され、それを自分が常に持ち歩いているスマートフォンに無線で接続することになりました。しばらくは、スマートフォンの電池も、コントローラーの電池も充電を切らすわけにはいかないので、空いた時間にどちらも一緒に充電できる充電器をいただき、使うことになりました。

少し心配になって、先生に

「停電などで充電できなくて、電池が切れたらどうなるんですか?」

と聞きました。先生は笑顔で

「大丈夫です。そんなときのために、バックアップ用の電池も別に内蔵されているので、そのときは、安全に装置を止める仕組みも入っています」

とお答えをいただき、安心しました。

【「異変」】
そして、それからは毎週、大学病院に通って、センサー兼電極の点検と、コントローラーやスマートフォンに入れたアプリの点検をしていただいています。最初の2週間は異常はありませんでしたが、3週間めの点検のとき、看護師さんが先生と診察室のカーテンの向こう側で小声でお話をするようになり、不安を覚えました。

私はと言えば、最初の一週間で、人が変わったように食欲が湧き、よく食べるようになりました。体重も少し増えて、妻も「よかったわね」と喜んでくれました。

しかし、次の2週間目に入ると、脳の電極のあるところだけではなく、妙な違和感を頭全体で覚えるようになったので、3週目に病院を訪れたとき、そのことを先生にお話をしました。なんだか、脳全体を探られているような、そんなくすぐったい感触が出てきたのです。食欲は相変わらずあって、よく食べるようにはなったのですが。

【4週間めに電極が外された】
そして、4週間めの通院日。先生からお話があり、すぐに手術となりました。

「どうやら、新機器での成果は芳しくなく、機器を取り外し、薬での治療に再度切り替えます。いま、手術室が空いていて、脳外科の先生も時間が空いている、ということなので、すぐに脳外科の先生にお願いして、電極を外してもらうことにします」

突然でしたが私の「最先端のうつ病治療」が終わりました。

【「問題」は別のところに】
それから更に半年後。私のかつての職場から、電話がありました。電話の方は私の後任として、退職する私の代わりに抜擢された方です。私が在任中から、役所内でも「3人の侍」と言われた、大変な切れ者で評判の人の一人でした。彼は懐かしい職場の雰囲気と懐かしい声で私にこう聞きました。

「XXさん。すみませんが、確かめたいのでお電話差し上げたのですが、退職前にやったお仕事って、XX地区の地域再生プロジェクトでしたよね」

「そうです。XXさんだから言いますが、役所の支出総額で数百億円、という、国内でも例のない、とんでもない大きさのプロジェクトです。私の退職後、なにかあったのですか?」

「いや、プロジェクトの推進の中心を担っていたゼネコンがプロジェクトを突如降りましてね。代わりに紹介されたゼネコンが外国のゼネコンなので、今度の国会でも、ある議員が取り上げ、問題になるそうです。しかも、この1か月の間に、どこからか情報漏えいがあり、その情報をもとに、国内ゼネコンが脅しをかけられ、プロジェクトを降りる決断をせざるを得なくなり、代わりに外国のゼネコンが入ることになったそうです。そこで、私は上司の指示もあり、情報の漏洩元を探しているところなんです。まさかXXさん、どこかでこの話とか、ゼネコンで聞いた裏話とかって、お話をしていないですよね?」

「退職したとはいえ、私にも、役所とは退職後の守秘義務の契約がありますから、そういうことは一切ありません」

「そうですか。疑ったようなことを申し上げてしまいました。すみません。ご返答をありがとうございます。実は警察にも問い合わせをしたのですが、XXさんの銀行口座に、退職金以外の大きなお金が振り込まれている、と情報がありまして」

自分でも顔が青ざめていくのがわかった。全く思い当たる節はない。しかし、なにか問題があることがわかったら、すぐに連絡する、と約束してから、電話を切った。最近、コロナで外出が減り、預金通帳は記帳してないので、PCを立ち上げて、オンラインで自分の銀行口座を調べてみた。

「あった」

確かにそこには、退職金以外のかなり大きな金額の振り込みがありました。すぐに役所に電話し「全く身に覚えのない大きな金額の振り込みを確認した」ことを連絡し、今後の指示をお願いして電話を切りました。

自分が全く預かり知らないところで、なにが起きているのか?青い顔が更に青く変わっていくのを感じました。その後、数日経って、私の自宅に家宅捜索が行われました。しかしながら更に数日。押収された手帳やメモなどが戻ってきました。そのさい、若い刑事さんが押収した資料を持って私の家に来て言いました。

「XXさん、大変に失礼をいたしました。実はXXの件で捜査をしていて、XXさんに情報漏えいの嫌疑がかかっていたので、捜索をさせていただきました。押収したものからは、一切、問題となるものは発見されませんでした。役所のXXさんにも確認したところ、別のところでの漏洩ではないか?とのことで、XXさんに対する捜査は打ち切りとなりましたので、お知らせいたします。重ね重ね、ご迷惑をおかけいたしました。振り込まれたお金については、後日、ご連絡が行くと思いますので、その指示に従ってください」

「いえいえ、お仕事ですから、当然だと思います。私も、なにか気になることがあれば、いただいた名刺の連絡先に連絡させていただくようにいたします。ありがとうございました」

【思い当たる節が】
そして数日。いやまさか。いや、そうかも知れない。と、逡巡した挙げ句、私はその若い刑事さんの電話番号に電話をかけました。

「実は、思い当たること、一つだけあります」

そう言ってから、うつになったこと、うつの治療の手術をしたこと、その手術が突然打ち切られたことをお話しました。まさかとは思うけれども、その手術で自分の脳内の情報を取られたのではないか?ということを、お話ししました。また、そのさい、看護師さんとお医者様がヒソヒソ声でなにか話をしていて、それから装置を外すことになったこと、などをお話しました。

若い刑事さんは、とても驚いていましたが、彼は続けて言いました。

「お話、うけたまわりました。では、病院もあたってみます。その病院名と、先生のお名前を教えてください」


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