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時代は変わる。iPhoneのシェアも変わる。

【2017年頃から】
最近は各種スマートフォン出荷台数の統計を見ていることも多くなった。2017年前後から、国内のスマートフォン全体の出荷台数は増え始めた一方、2014年くらいまでは出荷台数ベースでスマートフォンの国内市場の70%をも持っていたAppleのiPhoneのシェアは約半分、50%前後へと、減りはじめている。そろそろ50%を切ってきている、というのが現在の状況だ。「Apple好き」の人には申し訳ないが「iPhoneの一人勝ち」と言われていた日本の国内市場でも、ここ数年でだいぶ様相が変わってきた、というのが私の印象だ。

【東京と地方都市】
東京で山手線などに乗ると、みな手にしているのはスマートフォンだが、多くはiPhoneだ。しかし、地方都市に行くと、そのiPhone比率は大幅に下がる。また、YouTubeなどの最近の動画では「iPhoneからAndroidに乗り換え」が増えてきている。もちろん、反対方向の乗り換えの方法を指南する動画もあるが、全体として見ると「iPhoneからAndroidへの乗り換え」のほうが多い印象だ。

【自分の場合は】
自分の場合は仕事でもあるので、両方のハイエンドかそれに近い機種をいつも2台以上で使っていて、SIMカードを入れたり出したりして使っているし、自分の病気も重なり、昨今のリモートワークで家にいることが多くなったために、家のインターネット接続のWi-Fiで両方動かしていることも多い。どちらも一長一短、と言うよりも、両方ともまだまだなところが多い、と思いつつ、とっかえひっかえ使っている。しかしながら、iPhoneの出番は年々減っている、というのが自分の印象だ。

【ITは「当たり前」】
ITという言葉が一般化する前からこの業界での「モノ作り」の仕事をやってきたが、2020年前後を境に、日本でも「ITはインフラ」「ITは当たり前のもの」「ITは社会常識」という時代になってきた感がある。これは世界的な傾向で、日本は遅れている、という感じがする。

【8年前の韓国でのこと】
私は2013年~2015年に韓国に住んで、韓国の大学のITの教授をすることになった。在籍している大学の学生数は1万5千人を超えた総合大学の私学だった。日本で言えば早稲田大学のような感じの大きな大学だった。ホームページを見ると、日本の国会議員もこの大学で学位を取ったことがある、という。ある日、日本から頼まれて、韓流スターのグループのCDを買ってきてくれ、と言われて、大学の周りをくまなく探したことがあったのだが、あるのはフライドチキンのお店ばかりで、CDを売っているところはなかった。一軒もない。そこで、韓国人の友人に聞いた。「このあたりにCDショップってないの?」。答えは「そこから長距離バスで1時間くらい行った都市にあるCDショップを知っています。来たらご案内します」ということで、その都市に行き、無事CDを買って日本に一時帰国時に持っていった、ということがあった。いまどきの大学生は音楽はCDでは聞かず、スマートフォンにダウンロードで聞くのが当たり前、とのことだった。この「いまどき」は、8年くらい前の韓国だ。既に韓国ではそのときには役所関係の住民票取得などの業務全てがオンライン化されていた。いま、そのダウンロードもなくなり、常時オンラインでのストリーミングによる楽曲配信が普通になっている。そうなるだろう、とかつて思い、そうなるべくしてなった未来がそこにある。

【2022年の日本】
翻って2022年の日本。毎日聞く「円安」「経済日本一人負け」のニュース。遠い地での戦争。世界的サプライチェーンの崩壊。コロナウィルスでリモートワーク。コロナ感染者数が減ったらリモートワークをやめる企業続出。一部の先進的な大企業はリモートワークがメインで出社は「出張扱い」。「デジタル庁」。どれもこれも「これまでうまくいったがために手放せない環境」「しかしうまくいかなくなったがためにそれを手放さなければならない」「そのためにデジタル技術が必要」。そんなことに戸惑う人たちの話題ばかりが目に入る。耳に溢る。「安住」「ぬるま湯」に浸かりきった怠惰。油断。そんな単語が頭の中を駆け巡る。「いまさら、と言われるかも知れないが、日本はこのままでは沈んでいく」という危機感がやっと出てきた感じがする。危機感が無いのは、この先を考えなくて良い後期高齢者ばかりだ。「自分の事ばかり考えやがって、子どもたち、子孫のことはどうでもいいのか?」若い人間の怨嗟の声が聞こえてくる。

【贅沢品ではない。「普通に使えればいい」】
スマートフォンは現代の都市部にあっては、スマートフォンを持っていないと行政の住民サービスを受けるのにも支障が出ることが多くなった。スマートフォンは「当たり前」になり、かつての「最先端技術を使った贅沢品」ではなくなった。かつてのクルマがそうであったように、IT機器も今や「当たり前」なものだ。だから、スマートフォンは「最先端技術のイメージを纏った贅沢品」ではなく「日用品の一部」になった。ふつうに使えれば文句は無い。誰かにスマートフォンを見せて「これ、いいでしょう」とひけらかすのは、時代遅れの俗物だけだ、という声も聞こえる。

【「日用品」であるから】
今やスマートフォンは「日用品」である。新機種が出ても「あ、そう」である。どんな価格のものを買っても、よほど特殊な用途で突出した性能が必要なものでなければ、安いものがいい。iPhone?Android?どっちらもいいだろ?安いの?それ?。そういう時代になった。「スマートフォン?ふつうに使えれば何でもいい」。そして、輸入品のスマートフォンは円安で高いものは更に高くなった。今の多くの日本人は言うのだ。

高いものはもういいや。安いものでそこそこちゃんと使えるものはないの?

「iPhone?、高いっていう印象だよね。輸入品だし」

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