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「デジタル化」「DX化」の必然

【「デジタル化」は1965年から】
1990年代には、既に「デジタル技術」はあった。コンピュータもあった。JR(当時の日本国有鉄道=国鉄)の「みどりの窓口」は1965年に開設している、世界でも先進的な「鉄道切符の電子化」の取り組みだった。今では当たり前と言われることではあるが、大型の中央にあるコンピュータ(メインフレーム)と、きっぷ販売窓口の「端末」をデータ通信網で結び、瞬時に重複などのトラブルの無い指定席券の発行などができる仕組みだ。インターネットができて、Webブラウザが知られるようになったのは、1993年のことだと考えると、1960年代は「太古の昔」という感じだが、その頃から「世界のIT化」は始まっていて、間違いなくその当時は日本は世界の先端を行っていた。

【ITという言葉】
「IT(Information Technology - 情報技術)」という言葉ができて、日本の当時の高名な政治家(ご存命の方・かつ、なにかと話題の方でもあるので、誰とはあえて特定しないが)が「IT」を「イット」と呼んで世間の失笑を買ったのはちょうど2000年の頃だった。日本の銀行のATMが出てきたのが(出てきた当時はCD - 現金自動払い出し機 - Cash Dispenserと言っていた)1969年。英国でも1969年のことなので、JRの取り組みは世界的に見ても非常に早かったといえる。私もITという言葉ができる前からの「コンピュータ屋」だったが、1965年はまだハナタレ小僧の時代である。

●日本の「デジタル化」のみならず、それに通信を加えた「IT化」は1965年から始まっていたのだ。今で言えば「日本のDX化は1965年に始まった」とも言えるかもしれない。

【デジタル技術の優位性は「コスト」】
デジタル技術のアナログ技術に対する優位性は、その後あきらかになってきた。なによりも、電気で扱う「量」が「1=電気が通る」「0=電気が通らない」だけだから、微妙な電流がどうした、などという電気回路の設計に職人芸を必要としなくなる。つまり技術者の能力が低くても良いから、技術者の訓練も少なくて良い。技術者の給料を安くできる。能力の高い技術者はより高度な製品を短い時間でより多く、高品質で開発できる。能力の低い技術者でも、安い給料であっても、そこそこの仕事ができる。電気回路も簡単になるから、電気回路の開発や量産のコストも下がる。これが技術の分野における「デジタル化」だ。1990年代には、ハードウエアの様々な技術が進み、量産もあり、デジタル電気回路のコストも劇的に下がった。デジタル回路技術もどんどん処理スピードが上がり、かつ安価になった。例として、1980年代終わりの頃の日本電気株式会社(NEC)のキャッチフレーズは「C&C(Computer & Communication - コンピュータと通信)」だった。つまり当時は「IT」という言葉が無かったので、「コンピュータ」と「通信」をくっつけるのは、それなりにインパクトがあった、というわけだ。

●しかし、今でもNECが作った「C&C財団」っていうのがあるんですよ。いま、ネットで検索して、驚いてます。な、懐かしい。。。

【デジタルで通信すると】
複雜なことができるコンピュータと遠隔地どうしを結ぶ通信の「一体化」は時間の問題となったのが、1980年代。そして、米国でデジタル技術を前提とした「インターネット」が考案され、それが、またたくまに広がった。安価になり、大衆化したからだ。今は表向き「黒電話」でも、電話の局の交換機は全てコンピュータだ。掛け時計も裏側のムーブメントを見ると、小さなコンピュータが入っている。洗濯機、掃除機、冷蔵庫。「デジタルではないもの」はほとんどなくなった。「デジタルで通信」ではない。「通信はデジタル」なのだ。

【「革命」はインターネットの出現ではない】
この「世界的な現代の革命」の大元をたどると、この革命の主役は「デジタル技術」であって、「インターネット」は、その規模は、中身を知らない人にはそれなりに大きく見えることながら、その派生の一つに過ぎない。

【「デジタル化」が人間存在そのものを変えた元である】
デジタル化は、人間の道具の歴史を変え、人間自身の文化をも変えた。「地域」という軛(くびき)に縛られていた「多くの人」をその軛から開放した。情報通信が激安で手軽になったので、いま、地球の裏側で起きていることを、間髪置かず「普通の人」が知ることができる。今自分の居るところ以外の情報がすぐにわかるから、今居るところの居心地が悪ければ、どこに行けばいいかも直ぐにわかる。これは数万年の人間の歴史にはなかったことだから、宗教も哲学も変わる。数万年の「蓄積」が役に立たない。その種がまかれたのが現代という時代だろう。

【人間とはデジタルという生きる武器を手に入れた生物】
人間とは、今はデジタル電気技術という武器を手に入れた生物なのだ。社会全体でいえば(かつSF的に脚色すれば)「人間社会はサイボーグになった」のだろう。「DX化」は、その中の1つに過ぎない。

【DX化されていないければ「国家として認めない」「企業として認めない」になる】
まだ日本の多くの組織では、そこまでの危機感は無い。しかし、既に多くの先進国政府ではDX化が当たり前に進んでいる。単にこれまでの仕組みをデジタル化すれば良い、というレベルではない。その「肝」は「デジタル・フォレンジック」である。

【「デジタル・フォレンジック」の衝撃】
DX化の「要」は、実は「デジタル・フォレンジック(Digital Forensics)」である、というのはご存知だろうか?既に米合衆国政府には、政府の関係する法律事務所ではデジタル・フォレンジック・システムを入れていないところは入れなくなっている。デジタル・フォレンジックを使うと、組織で使われる全ての文書の生成から改稿、保存、廃棄など、全ての記録がクラウド上に残り、参照の必要のある関係者は全てそれにアクセスできる。組織内外で、ある事象に関するトラブルや問題が起きたとき、裁判所等への提出資料として、この「デジタル・フォレンジック」上の文書でなければ裁判所は受け取らなくなる。このシステムを使うと、「この文書は、何時、誰が、誰の命令等で最初に作成し、作成時の文書はこういう内容で、それを何時何分何秒にAさんが指示してBさんがこのように修正・加筆した」などの記録が「全て」一字一句正確に残る。つまり、公正なジャッジを行うためにはデジタル・フォレンジックは「要」なのだ。いま、先進各国政府、大企業、法律関係者は、このシステムを使いはじめており、それは世界に広がるのは必然と言われている。

【デジタル・フォレンジックで何が起きるか】
例えば、ある居酒屋で食中毒事件があったとする。そこで使われた食材のどれが原因か?誰の責任か?を追求する過程で、デジタル・フォレンジックが活躍する。その居酒屋にXX月XX日に納入された全ての食材がデジタル化された伝票から洗い出され、それぞれがどの業者で作られ、輸入食材であれば、輸入元、輸入代行業者があれば、その業者の全ての事務記録、倉庫の管理記録、外国の輸出元企業の全ての記録、運送業者の記録、などがデジタルで洗い出される。さらに元の生産者、その生産者や運送業者の衛生管理なども目の前のPCで全てを調べることができる。その全ての資料が白日の元に晒され、食中毒の原因追求がされる。このような仕組みが出来上がる。

【DX化は「待ったなし」&「甘くない」】
つまり、DX化とはそういうものだ。そして、そのキモは「デジタル・フォレンジック」システムだ。そして、それは国境を超えていく。今後は、デジタル・フォレンジックで全ての資料にアクセスできない組織は、それが国家であろうと、世界の流れから取り残されることになるだろう。「待ったなし」。そして「甘くない」。「DXは便利にしてくれるんですよねー」という話だけではない。

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