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第7話 僕が起業するまでの話(2) 父の自殺未遂

僕が高校生のころは、表面的には順風満帆な成金家族だったが、実は父の会社は火の車だったようだ。

原因は、多角化の失敗だ。印刷から封筒を作る製封の仕事に事業を広め、それがことごとくうまくいかなかったようだ。

父は器用なので、自分で印刷機も回していたため、製封機も同じようにできると踏んだのだろうか。人を雇わず、自分で製封機を回した。ただ、素人が作った製品は、返品の山を築いた。DIYは恐ろしい。

重要なお得意先に、超大手の名刺製作会社があったが、下請けの製封会社が潰れて機械の引き取り手がいないので、父に引き取って製封事業をやることを勧めたそうだ。

僕は父の事業を幼少からみてきて、たくさん学ばせてもらった。その1つが下請け企業の怖さだ。特に、数社だけに頼る形だと、そのうち1社でも取引がなくなると、あっという間に窮地に陥る。

また、同じ業界でも、やったことのない事業に手を出すのは、全くの異業種に手を出すくらいに考えた方がいいということだ。同じ植物を扱う業界でも、花屋さんと造園会社は、勝手がまったく違う。僕が今、勉強も修行もせずに、花屋さん経営に手を出したら間違いなく失敗する。

小企業では、多角化の失敗は、あっという間に、会社を窮地に追い込む。

家と会社が遠いというのも、猛烈に仕事をする自営業者にとっては望ましくない。江東区の会社に町田から車で通っていたが、朝渋滞が激しく、会社を畳む前の数年間は、なんと江東区に戸建てを借りて、平日は家族でそこに住んでいた。全くの無駄だ。

僕が大学1年生のある朝、会社で総務をやっている母から電話が江東区の家にあった。

「父さんが、昼になっても、会社に出てこない。いやな予感がする」

という電話だった。

父はそれこそ資金繰りもあって奔走していたので、夜も帰宅しないことはたびたびあったが、日中は昼には会社に戻ってきていたようだ。だがその日は昼過ぎになっても戻ってこなかった。

「一緒に町田の家に行ってほしい」

と母から告げられ、ふたりで会社の車に乗って町田の自宅に向かった。

父の車がある。

心臓が止まりそうになったのをよく覚えている。

家の鍵を開けると、ガス臭く、リビングに入ると、日中なのにカーテンが閉め切られていた。


そして、絨毯の上に父が倒れていた。手首には切り傷がある。


父は眠っていたものの、息はしていた。

急いでガスを止めて窓を開け、救急車を呼んだ。

僕は救急車が来るまで眠っている父を抱きしめ、

「父さん、父さん、生きろよ。俺頑張るから」

と泣きながら言っていた。

母親の予感のおかげで、父は一命をとりとめた。


会社には、番頭さんのような方がいなかった。なので、父が不在になると会社が急に回らなくなる。僕は、大学生どころではない。僕は次の日から父の会社に毎日通うことになる。







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