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最悪のタイミングで入院して気づいた仕事より大切なこと

「来週出張?とんでもない。今すぐ入院してください」

2021年10月6日、腹痛で病院に行ったらこう言われました。翌週に東京ビッグサイトでの大切な展示会を控えていた最悪のタイミングでした。

3年目でようやく見えた勝ち筋

こんにちは。福岡県の水門メーカー後継ぎムスコ、乗富鉄工所の乘冨賢蔵です。発注が減りつつある水門事業の穴を埋める新規事業として、3年ほど前から鉄工所職人の技術と発想を生かした自社ブランド立上を目指した"ノリノリプロジェクト"という活動をやってきました。

老舗企業の新規事業には本当にたくさんのハードルがありました。「ヒト・モノ・カネ」すべてが不足する中「1億の水門受注する会社が1万のもの作ってなんになる」というような社内の風当たりをうけながら、補助金を獲得したり、SNSで情報発信したり、デザイナーさんに頼み込んでブランディングを手伝ってもらったり、大学時代の後輩をリクルートしたり、ありとあらゆる手段で半ば強引に事業を進めてきました。

数々の商品を開発しては失敗しなかなか芽が出ず苦しんできましたが、2020年に発売したキャンプギア"スライドゴトク"と2021年9月に発売した"ヨコナガメッシュタキビダイ"が会社としては初めてヒットし、テレビや雑誌、アウトドア情報サイトなど多くのメディアに取り上げて頂くなどして「これは今までとは違う・・・!」という空気を感じていました。

そうして新規事業に対する期待が過去最高に高まっていた10月13日~16日、東京ビッグサイトで開催される展示会、ギフトショーに出展することになっていました。会社としては過去最大規模の展示会。約4カ月前から準備をはじめ、2点の新商品を準備し、什器やフライヤー、POPに至るまですべて新調して、「あとは行くだけ!やったろうじゃないか!」と意気揚々としていた時期、冒頭の出来事があったのです。

突然の手術入院

診断は急性虫垂炎でした。命にかかわるようなものではありませんでしたが、かなり進行していたらしく即日緊急手術となりました。当初は腹腔鏡というヘソのあたりを少しだけ切って行う手術の予定でしたが、炎症がひどく開腹手術に変更され、全身麻酔から覚めたときには体から5本の管が出ておりまったく身動きできない状態になっていました。

手術後2日くらいまでは、「傷が痛い」「苦しい」以外のことはあまり思い出せないくらいでした。1週間ほど前からなんとなく体調の不調を感じていたので「もっと早く病院に行っていれば…」と何度思ったことか。3日目以降、傷の痛みが引いていくにつれて、だんだん現実に戻ってきて

「ああ、あれだけ準備したのに結局おれは行けないのか」

という虚無感に襲われました。別に展示会に出ることを目標にしてきたわけじゃないし、自分が行けなくても出展自体はできることは分かっていました。だけどもうどうしようもない感情の部分で、張りつめていたなにかが切れたような気がしました。

病室のすぐ横にあった外が見えるスペースで一日中ぼんやりと外を眺めて、自分だけ別世界にいるような気分になっていました。

手術後6日目、ようやく飲むことを許可された水には味があり、具材がひとつも入っていないスープがこの世のものとは思えないくらい美味しく感じたのを覚えています。

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自分抜きで進む展示会準備

「今頃バタバタしているだろうな」あんなに必死に準備した展示会も、もはや半分他人事のようになっていました。

メンバーは1カ月前に転職してきてくれた大学の後輩とデザイナーさんに加え、私の代打として50代の営業部の社員が行くことになっていました。これまで営業部には何度となく新規事業やSNSでの活動を説明してきていましたがあまり理解を示してもらえていなかった経緯があったため、「営業部の人に新規事業の商品の魅力を伝えることができるのかな」と失礼にも思っていました。

展示会前日、ブースが完成したと連絡があり「なんでここに俺がいないんだ」と一層強く思ったのを覚えています。

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町工場仲間からのDMで知ったメンバーの奮闘

そうして迎えた展示会当日。

いつものようにぼんやり外を眺めていましたが、さすがに会場の様子が気になって後輩にラインしましたがどうやら忙しいらしく「盛況です」くらいの返事しか返ってこない。初日終了後にざっくりした報告を受けましたが、会場の様子が分からず「まああれだけ準備したし当然だよな」くらいにしか思っていませんでした。

2日目、Twitterで知り合った町工場仲間から会場の様子を動画で送ってもらい、メンバーの奮闘ぶりを知ることに。特に心配していた営業部の社員の方がキビキビ動いて接客していると聞き、本当に驚きました。事前に申し合わせたのか、ブランドカラーにきっちり合わせた服装でまるで大手メーカーの社員みたいに堂々とふるまっている様子を見て、失礼な心配をしていた自分が恥ずかしくなるような思いでした。

この日は東京在住でマーケティングのお手伝いしてくれているメンバーも午後からブースに立ってもらいましたが、「本当に盛況でメンバーみんな楽しんで成果を出している」というお話を伺い、いかに自分の心配が杞憂であったかを思い知りました。

3日目も盛況で、終わってみれば200枚もの名刺交換と大量に持って行ったフライヤーがほとんどなくなるような成功を収めることができました。

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通常のオペレーションでも社員が率先してフォロー

また、私がいない間にも会社では商品の生産が続き、お客様からの問い合わせも多数ありましたが、会社に残ったメンバーが導入したばかりの"トレロ"や"kintone"などのITツールをうまく使って捌いていってくれていました。手術後1週間もすると私もだんだん元気がでてきたので、病室からやりとりしていました。

こんな場面でも「自分がやらなきゃ何も進まない」という考えがいかに間違っていたか思い知りました。

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もう自分だけの事業じゃない

まったくのゼロからスタートした新規事業。「自分が頑張らないと絶対に成功しない」という強い危機感で3年間我武者羅に走ってきました。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、ようやく日の目をみつつある事業は私にとって我が子同然の思いで、重要なことは必ず自分が決め、自ら手を動かすというスタイルでやってきましたがそのやり方はもう卒業すべきタイミングに来ていることを悟りました。

今、このnoteを書いている時点で私が会社を離れて2週間と少し。退院して3日目になりますが大事をとって自宅療養をさせてもらっています。この間、展示会という重要なイベントがあり商品の生産も最盛期を迎えていますが、メンバーが協力しあって事業は継続されています。また、営業部のメンバーにも展示会の生の空気を体験してもらったことで、新規事業に対して前向きになったと聞いています。

後継ぎが強引に引っ張るフェーズは終わりを迎え、社員や社外のメンバーみんなで事業として運営していくフェーズに入ったということだと思います。少し寂しい気もしますが、これこそ本来やりたかったこと。知らない間にメンバーはそのレベルに成長していたんです。

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最悪のタイミングで入院して気づいた仕事より大切なこと

じゃあこれから自分はどうするか。今は、少しだけルーチンとなる仕事のペースを落とそうかと思っています。例えば毎日6:30には会社の席に座って雑務をしていましたが、これは一度やめてみようかと思っています。

朝の時間は集中できて仕事が捗るということで続けてきましたが、いつしか「朝起きて会社に行って帰ったら食事して寝る」ということが習慣化してしまい、たまに早く帰っても精々Twitterかアニメをみるくらい。趣味の読書すらできないような状態になっていました。

今回入院中に久しぶりにビジネス書以外の本を読みいかに自分の思考が仕事に支配されていたのかを実感しましたし、逆説的ですが「こういう仕事の仕方してもいいかもしれない」というようなアイデアも生まれてきました。

乗富鉄工所では自ら新しいものを生み出すことができることから鉄工職人をメタルクリエイターと呼んでいますが、閑散期に椅子やテーブルなどを図面なしで作る彼らのクリエイティビティの源泉はガチガチに管理しないことから生まれる"余裕"にありました。

「なんとしても事業を成功させなければ」という想いがいつの間にか強迫観念のようなものに変容し、いつしか自分から余裕を奪い体調の不調さえ気づかないような状態になっていたことで今回のような結果になったのだと思います。

怪我の功名とはいえ、メンバーが育ってくれていることが分かったのは大きな収穫でした。私がいなくても普段のオペレーションは全く問題がないくらい。これからはメンバーに感謝しつつ自走できる体制をサポートして、新商品のアイデアや仲間づくり、事業全体の構想に時間をかけてみようと思っています。

最後になりましたが、今回の入院で大変多くの方にご心配頂き温かいお言葉を頂きました。入院中、いろんなことから置いてけぼりにされたような気分になっていた中、心の支えになりました。本当に感謝しています。

会社、社員、世の中、そして自分自身をノリノリにするために、私たちの挑戦はこれからが本番です。余裕と健康、感謝の気持ちを忘れずに引き続き精進していきますので、お付き合いいただければ幸いです。ありがとうございました。

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【追記】展示会に出展したプロダクトはこちらです。鉄工職人と私たちが情熱かけて作り上げた自信作、よかったら見ていってください。

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