M-1の審査を見て改めて思う、「お笑いは好み」だ

 M-1グランプリ2022決勝。その審査のなかで個人的に最も印象に残っているのは、ファーストラウンド6組目に登場した男性ブランコのネタに対しての、松本人志さんのコメントになる。

 「いやぁ、もう、おもろいわ。こんなん大好きやねん。でも1位にはまあ、なれんか」

 この台詞のどこに好印象を抱いたのかといえば、「でも1位にはなれんか」という部分になる。

 松本さんが男性ブランコにつけた点数は96点。その時点はもちろん、ファーストラウンド10組を通しても、今大会における自身の最高点数だった。その直前に登場したロングコートダディ(4番目)とさや香(5番目)も連続して爆発を起こしていたが、そんな最終決戦まで進出した両者よりも男性ブランコの方が面白かったと松本さんは評価した。点数的に言えばそうなる。そうしたなかで真っ先にコメントを求められ、上記のような台詞を吐いたわけだ。

 自分は面白いと思うが、そうは思わない人もいるかもねと、周りに100%同意を求めたわけでは全くなかった。他人の評価が低そうなものに対し、己の感覚を頼りにあえて高評価を与えようとしたと言い換えてもいい。自分の意見はしっかり主張するが、他人にそれを押し付けない。「でも1位にはなれんか」には、そうした意味が多分に含まれていた。この絶妙な言い回しに僕は何より好感を抱いた。

 他のどの芸人よりも多くのこだわりや哲学を持っているにもかかわらず、押し付けがましくない。そこに松本さんが長年お笑い界のトップに君臨している理由を見る気がする。「俺はそう思うけど、無理についてこようとしなくていいから」。審査のコメントを通して、そうした松本さんの気質を感じるのは僕だけだろうか。今回は名実ともに審査員長的な立場を務めたにもかかわらず、変に深刻にならないさりげないその誘い口調が、少なくともこちらには耳に心地よく入ってきた感覚があった。

 そんな松本さん以外にも、今回印象に残るコメントを吐いた審査員はいた。松本さんに次いでこちらの印象に残る言葉を述べたのは、落語家、立川志らくさんになる。

 大会前、いや、具体的に言えば、審査員の顔ぶれが発表される前、これまで長年審査員を務めてきた上沼恵美子さんとオール巨人さんの勇退が確実視されていた。そしてそうした状況の中、審査員の中では異色と言える落語家、立川志らくさんの続投も、なんとなく僕には危うく見えていた。いわゆる若返りのために弾かれるのではないかと思われたが、その心配は杞憂に終わった。ご承知の通り上沼さんと巨人さんが卒業し、その代わりとして博多大吉が復帰、山田邦子さんが新たに加わったわけだが、この新しく入った2人よりも志らくさんの方が納得度の高い審査をしたと僕は思う。少なくともその審査(点数)やコメントに対する違和感は全くなかった。オリジナルな意見で、なおかつ、わかりやすい。今回も含め、5年連続で審査員を務めているその経験がダテではないことを証明した格好だった。その中でも特に印象的だった言葉は、1本目のウエストランドに対して述べた以下のコメントになる。

 「あなた方がスターになってくれたらば、時代が変わる」
 「本来“笑い”っていうのは、そういうものだから。毒があるのが面白いので、これが王道になって欲しいという願いも込めて98点にしました」

 自らの意見をわかりやすく、そして端的にズバッと言い切ったところに、なにより好感を覚える。「あなた方がスターになってくれたらば時代が変わる」とは、これ以上ない最高の褒め言葉に他ならない。少々大袈裟に言えば、この志らくさんの言葉を耳にした瞬間、僕の中でウエストランド優勝の可能性が一気に上昇した。大会の流れを大きく変えたコメントと言っても過言ではない。審査員のコメントとしてそれは行き過ぎではないかと言う人がいたかもしれないが、それでも説得力のあるその力強い言い回しに好印象を受けたことは事実。また今年も審査員としてその姿を見たくなったものだ。

 松本さんも、志らくさんも、こう言っては何だが、ネタを事細かに分析した末に述べたという感じのコメントでは全くない。そうした面で言えば、塙宣之や博多大吉の方がおそらく上だろう。だがそれは大して大きな問題ではない。「私はこういう点数をつけた。その理由はこうだからだ!」。僕的にはそれで十分なのだ。その説明に筋が通っていれば、問題は全くない。たとえ賛同はできなくても、納得はできる。例えば塙と大吉が1本目のロングコートダディに対して、そのネタの短さを理由に点数を少し抑えたと述べていたが、それでいいわけだ。塙や大吉のように、20秒ほど短かったというそのネタ時間もしっかりと点数に反映させたい人もいれば、その辺りは特に気にせず、自分が面白かったかどうかで判断する人もいる。コント系よりもしゃべくり系を好む人もいれば、下ネタ系は嫌いだという人もいるだろう。そこは言わば、審査員それぞれの趣味の問題だ。そこに異論を唱えることはできても、少なくとも他人がそう簡単に変えることができない範疇の話になる。

 大会後、ネットなどで比較的よく見かけたのは、今回新たに審査員に加わった山田邦子さんの審査に対する批判的な声だった。確かにその点数を見れば、批判が出るのは無理はない。ファーストラウンド前半の審査を見れば、それは十分予想できた。審査員の中では最年長、なおかつ松本さんを上回る芸歴の持ち主ではあるが、それに相応しい老獪なコメントを耳にすることもなかった。そのコメント力でも他の審査員に劣ったという印象だが、その採点に対して僕はあまりとやかく言う気にはなれない。本人はあくまでも自分の好み通りの審査をしたと思う。それでも批判を受けた最大の要因は、その方向性や好みが最後まで曖昧だったことにあるとは筆者の見立てになる。

 トップバッターのカベポスターに84点という近年のM-1では見ないような低い点数をつけたかと思えば、続く2番手の真空ジェシカには95点という高得点をつけた。パッと見、それほど大きな差がないように見えたこの2組に1人で11点もの差をつけたわけだが、そのこと自体は別に構わない。問題は、その理由が最後まで不明瞭だったことだ。山田邦子さんの中では、結果的に今回最も評価が低かったのがカペポスターで、逆に最も高評価を与えたのが真空ジェシカだった。単純に点数だけを見ればそうなるわけだが、ならば、審査コメントの際に少なからずその理由をキチンと説明する必要がある。だが84点をつけたカベポスターに対して「とても面白かったですね」と切り出してしまっては、辻褄は合わない。たとえ他の審査員とは感想が異なったとしても、(かつての巨人さんのように)何かしらの批評をしなければ、その点数とコメントに整合性は生まれないのだ。M-1審査員としては最初の審査コメントだったという事情を差し引いても、納得度は低い。そう言わざるを得ない。

 他人と好みが違うことは当然。それがお笑いなのだ。お笑いとは本来感覚的なもの。それにあえて具体的な点数をつけ、差を生み出せば、論争が起こるのは当たり前だ。ウエストランドの優勝で幕を閉じた今大会だが、彼らの優勝にひと言いいたい人は、たぶんそれなりにいる。筆者はその優勝に十分納得している1人だが、「さや香が優勝に相応しかった」とか「悪口はあまり好きじゃない」などと思っている人が実際、一定数は必ずいるはず。感想はまさに十人十色。繰り返すが、それがお笑いというものなのだ。

 面白いかどうかの基準や、ネタに対する満足度は人によって違う。その“違うこと”自体は悪いことでは全くない。それより問題なのは、そうした自身の好みや感想を詳らかに語ろうとしないこと。そちらの方が遥かに重要だと僕は思う。審査員ならばなおさらに、だ。後に山田邦子さんは自身の審査についての感想を述べたそうだが、少なくとも多くの人に届くようなところで発したというわけではない。その好みや審査基準などは、決勝戦での審査やコメントからは最後までわからずじまいだった。元々の露出も、近年では決して多い方ではない。次に筆者がその姿を目にする機会は、今年のM-1決勝までないのかもしれない(今年も審査員をするとすればの話だが)。

 誤解して欲しくないのは、山田邦子さんの好みや審査基準に対して批判しているのではないということだ。そうではなく、その中身がよくわからなかったこと、自らの好みを詳らかに説明してくれなかったことに対して、こちらは突っ込んでいるにすぎない。しつこいようだが、巷で批判的な意見が飛び交った大きな要因はここにある。基準がよくわからないから、その審査に対する納得度が低かったというわけだ。

 優勝者のネタが自分にとって1番面白かったとは限らない。むしろ、それが一致しないケースの方が遥かに多い。優勝者よりも敗者のネタの方が、後々まで印象に残る場合は多々ある。最近で言えば、M-1グランプリ2021決勝だ。優勝した錦鯉のネタよりも、筆者にはモグライダーが披露した「さそり座の女」ネタの方が印象に強く残っている。また昨年のキングオブコントで印象深いのも、王者ビスケットブラザーズではなく、8位に終わったクロコップの方だ。遊戯王をオマージュしたあの「ホイリスト」というネタが、なによりこちらの脳裏には深く刻まれている。優勝者以上に、である。

 たかがお笑いだ。政治や経済のような、人の生き死にに関わっていない、あくまでもエンターテイメントの範疇における話だ。他人と無理矢理意見を合わせる必要など全くない。自分が面白いと思ったものを素直に面白いと言えば、理由さえ述べれば極論それでいいわけだ。

 ちなみに今回のM-1グランプリ2022の中で個人的に最も面白かったネタをあえて言えば、ロングコートダディの1本目、「マラソン世界大会」のネタになる。ウエストランドのネタももちろん面白かったが、こちらは1本目と2本目の「合わせ技一本」という感じで、単純な1本に限れば、わずかな差だがロングコートダディの方に軍配を上げたくなる。また準優勝のさや香より高評価とした理由は、その画期的度合いで上回ったこと。さや香のネタがまだどこかで見たことがありそうな(かつてのブラックマヨネーズのような)ものだったのに対し、ロングコートダディの方がその新鮮さでは勝っていたと見る。笑い飯のようなダブルボケ漫才に見えないこともないが、そのスムーズな入れ替わりに加え、ネタの設定とうまくマッチしていたという点から見ても、かつての王者を凌駕するネタを見せつけたと僕は思う。単純さ、馬鹿馬鹿しさに加え、滅茶苦茶面白い。このネタを最終決戦で披露できていれば、少なくとも0票で終わることはなかったと言い切れる。

 お笑いは好みだと、改めて思う。他人の好みや趣味についてとやかく言うつもりはないが、審査員を務めるような人には、完全に仕事として割り切るのではなく、自分のやりたい審査を最後まで貫いて欲しい。そして、こちらのお笑い観を刺激するような言葉をどんどん吐いて欲しい。お笑いに対する自らの好みや哲学などをもっと積極的に語るべきだと僕は思う。そうでなければ、審査員をする意味はない。人と違ったことをどれだけ言えるか。そうしたなかで、いかに納得度の高い審査をすることができるか。高次元で融合した優れた才能が求められることには違いないが、カリスマ性溢れる存在に見えることもまた然り。だからこそ批判は生まれる。多くの人がついあれこれと言いたくなってしまうわけだ。

 M-1での審査を見て、お笑いの奥深さを再認識させられたような気がする。

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