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短編夕焼けコンサー第Ⅰ章

リビングのソファーにもたれたまま眠ってしまい、
ラインの着信音で目が覚めた。
内容を確かめると、時刻表示は五時五分だった。
夫が家を出たのが夜中のー時で、
こんな時間に連絡を寄こすのだから、
彼も昨夜はほとんど眠っていないのだろうと、
ぼんやりした頭で考えた。

そのあと、仕事に支障はないだろうかと心配になり、苦笑した。
若い女を作り、
離婚を切りだしている人のことなど心配することはないのに。
電気を点けるのが面倒だったので、
体をひねりカーテンを捲ると、
外はまだ薄暗く東の空だけ少し明るかった。

明け方エアコンの音がやけに大きく感じたので、
電源を切って窓を開けた。
室温より外の空気の方が涼しかった。
今年もそろそろ夏が終わるのだ。

送られてきたラインには
「本当に申し訳なく思っていますが、
しばらく真美のそばについています。
彼女の状態が落ち着いたら、
かあさんの将来についても
もっと真剣に話し合おうと思っています。
ゆうべは助かったよ
いくら感謝しても足りません」
そう書かれてあった。

裕太が産まれてから、
夫はわたしのことをかあさんと呼び、
わたしは夫のことをおとうさんと呼んだ。
もう何十年も名前で呼ばれたことがない。
子供を生活の中心に置いて、
そう呼び合うことに疑問を抱いたことはなかった。
だからその女のことを真美と呼んだことが心に刺さった。

あれほど大騒ぎして家を出て行ったのに、
そこにはその矢口真美のおなかにいる子供の命が
どうなったのか書かれていなかった。
彼なりの配慮で敢えて触れなかったのか。
それとも、まだ彼女は治療中なのだろうか。

その小さな命が無事だったにせよ、
流れてしまったにせよ、
自分の気持ちが穏やかになるわけではない。
それでもまずそのことを伝えるべきだろうと腹が立ってきた。

立ち上がると、胃がムカムカし、こめかみもズキンと痛んだ。
テーブルの上には、昨夜夫が出て行ってあと、
自棄になって飲んだ酎ハイの缶が幾つも転がっていた。
夫が大量に買って冷やしてあった
二日酔いのドリンクを、冷蔵庫から出して一気に流し込んだ。
少し横になろうと二階の寝室に上がった。

とにかく眠りたかった。
目が覚めたのは十時半だった。
四時間ほど眠った。
久しぶりにぐっすり眠た気がした。
夫がいない方がよく眠れるなんて、
私たちは本当にもう終わりにした方がいいのかもしれない。
が、経済的に自立できない限り、
そう簡単に離婚を受け入れることはできない。

夫から矢口真美との関係を打ち明けられてから、眠れない日が続いている。一か月になるだろうか。
その間、夫もほとんど眠っていない。
おそらく真美は、もっと長い間そういう日々を過ごしてきたのだろう。

もう随分昔のことになったが、
そういう辛い夜を過ごした期間が自分にもあった。
それがあるから真美のことを徹底的に憎むことができないでいる。
そして、あの頃、恋する気持ちを止められず突っ走ったことが
どれだけ多くの人を傷つけていたかを
今回改めて思い知った。

もう裕太も大学生になり家を出たのだから、
わたしがこの状態から逃避しようかとも思ったが、
新しい命があり、それを夫が自分の子供だと認め、
共に暮らしたいと望んでいるのだから、
そのことに自分も何らかの答えを出さなければならないだろう。
1か月間その答えをずっと探している。

この歳になれば、命の重さも、その奇跡さえも分かってしまうのだ。
たとえ自分を苦しめる存在であっても、
その命には何の罪もないことも。


       

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