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【創作】あの日の空と小さな手紙

~ 40年目のクリスマス・イブ ~


今年の9月、noteのコンテスト企画で「#2000字のドラマ」というものが開催されました。わたしもその企画に乗っかり、2,000字の創作文を1つ書きましたが、今日はその話のロングバージョンを公開しようと思います。

あのときは、2,000字という制限の中で、無駄な描写はできるだけ省きながら、文字を削って削って、でもちゃんと伝わるように、なんとかうまくエンディングにつなげられるようにと、すごく苦労して書いていました。

今回は制限なし。前に作ったものに一部着色しながら書いているので、回想シーンなど、ほぼそのままのところも多いです。前の創作文を読んでくれた方も、別の新しいお話として、改めて読んでいただけると嬉しいと思います。長文です。覚悟して。

では、

あの日の空と小さな手紙
~40年目のクリスマス・イブ~

スタートです。


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よく焼けたベーコンの匂いで目が覚めた。キッチンでは妻が忙しそうにあっちへこっちへと動きまわっている。のそっと起きてきた僕を見つけると、妻は元気よく「おはよう!」と言って、テーブルにおいしそうな朝ごはんを並べた。

おとしたてのコーヒーをカップに注いで席につくと、テレビから「クリスマス・イブの今日、関東は一日中晴れマーク、ぽかぽか陽気になるでしょう」というお天気お姉さんの明るい声が聞こえてきた。

そうか、今日はクリスマス・イブか。

「チキン、忘れないでよ? わたしはケーキを受け取って帰るから。今年はチョコのケーキにしたんだ~」と、嬉しそうに妻が言う。

毎年、クリスマス・イブは、かの有名なチキンのお店のチキンセットと決まっている。僕がチキン担当だ。そして、妻がケーキ担当。妻は毎年、その年の流行りのケーキをチェックしていて、「今年のクリスマスはこれ!」とかなり早くから目星をつけて、お店に予約をしている。相当楽しみにしているようだ。

カレンダーを見ると、子どもたちは2人とも 友だちと約束があるらしい。「またチキンが余っちゃうなぁ」とつぶやくと、「いいじゃない。余ったら冷凍して、明日も明後日も食べれば」と妻が笑う。

妻は「あの店のチキンは、毎日食べてもおいしいんだから」と言うけれど、そう言われると僕はいつも「毎日食べたら、胃がもたれちゃうんだけどな」とこっそり思っていた。

クリスマス・イブは特別な日。テレビの中でも街中でもそんな演出がされているが、子どもたちが大きくなってしまった夫婦にとっては、クリスマス・イブなんて さほど意味のあるものではなくなったという人も多いだろうと思う。

でも、僕らは違った。

クリスマス・イブは、僕が妻にプロポーズをした日だ。小さな赤いケースに入った綺麗な指輪をポケットに忍ばせてデートに向かった。それは23年前のこと、僕は27歳だった。

あの日の朝、どうやってプロポーズをしようかと念入りにシミュレーションをしていたら、テレビから「今夜はホワイトクリスマスになるかもしれません」という声が聞こえてきて、僕はどんよりとした曇り空を見上げながら、昔の特別なクリスマス・イブのことを思い出していた。

「そうだ、あの日もこんな空だったな」と。


◆◆◆

小学5年生。僕には彼女がいた。

小5で彼女なんて…と思うかもしれないが、一般的に言うところの彼氏彼女ではない。好きな女の子に「好きだよ」と言ったら「私も好きよ」と言われた、ただそれだけのことだった。

彼女は、3年生の3学期の途中という、なんとも中途半端な時期にやって来た転校生だった。スラっと背が高くて、「小雪」という名前のとおり、色白で綺麗な顔立ちをしていた。前にいた学校で授業がかなり進んでいたらしく、テストはいつも100点、しかも運動も得意という、まさに非の打ち所がないといった女の子で、すぐに人気者になった。

チビで色黒な僕とは正反対、「あれはきっと、僕とは違う次元にいる人間なんだ」と思い込むようにして、なるべく関わらないようにしていた。

それなのに、小雪は、ことあるごとに僕を見つけてはニコニコしながら近寄ってきて、頭をポンポンと叩いて「ちっちゃいね~」と言って去っていくということを繰り返していた。

なんで小雪は僕にかまうんだろうと心底疑問に思いつつ、「うるさいなぁ」と手を払いのけながらも、小雪が僕にだけちょっかいを出すことを、実は嬉しく思っていた。小雪は他の男子にはそういうことをしないので、僕だけが特別なんだと誇らしく思っていた。僕が小雪を好きになるのに、そう時間はかからなかったと思う。

5年生になり、僕の背が伸び始めて小雪の身長を少し超え、小雪は僕の頭をポンポンとすることはなくなったが、僕らは自然と2人でいることが多くなった。そして、本当になんとなく、そのときの雰囲気で「好きだよ」と言ってみたら、小雪はいつものようにニッコリと笑って「私も好きよ」と答えた。

とはいえ、家は反対方向だから、学校の行き帰りを一緒にというのも無理だったし、電話をしたら「親がうるさいから電話はできないの」と言ってすぐに切られてしまう始末で、つきあっているだなんて到底言えるような関係ではなかった。

それでも、特別なことがひとつだけあった。小さな手紙を上靴に入れて、文通をしていたことだ。

放課後、友だちに見つからないようにこっそりと下駄箱へ行き、小雪の上靴の奥のほうに手紙を入れる。3日後の朝、僕の上靴の奥のほうに手紙が入っている。そんなほんの少しの特別がこそばゆくて、ドキドキして、僕は小雪の特別なんだという優越感に浸りながら、毎日を過ごしていた。

2学期の終業式が近づいた12月21日、小雪は学校を休んだ。先生は「保護者の方から、具合が悪いと連絡がありました」と言った。心配にはなったが、電話もできないし、きっとすぐに登校してくるだろうと思っていた。

ところが、12月24日、終業式の日になっても小雪は学校に来なかった。先生に「まだ具合が悪いんですか?」と聞いてみたら、「連絡があったのは最初に休んだ日だけなんだよ」と言う。どういうことだろうと困った顔をしていたら、先生が「帰りに通知表を渡しに家まで行くから、心配なら一緒においで」と言ってくれた。

放課後、先生と僕は小雪の家へ向かった。途中で友だちが数名「どこ行くの?」と集まってきて、みんなで一緒に行くことになった。

先生がインターフォンを何回か鳴らしたが、応答がない。先生は玄関に貼り紙がしてあるのを見つけて、門を開けて中へ入っていった。友だちが先生のあとに続き、勝手に家の裏側へとまわった。その直後、友だちの大きな声が聞こえた。「先生、こっち来て!」と。

友だちの慌てた声と貼り紙を読んだ先生の険しい顔に、僕は怖くなって動くことができなかった。家の裏へとまわった友だちが慌てて戻ってきて、固まった僕をむりやり引っ張っていき、「ほら」と言って家の中を覗かせた。

そこには、何もなかった。
人が住んでいる形跡が、何も。

僕が理解できなくてその場で呆然としている間に、先生は近所の方に話を聞いていた。僕がフラフラしながらようやく門のところまで戻ったとき、「3日前の朝方のことですよ」という声が聞こえてきた。

3日前? 彼女が最初に欠席した日だ。あの日にはもう引っ越していた? 最後の手紙にはなんて書いてあったっけ?

僕が必死に記憶をたどっているところへ先生が戻って来た。そして、みんなを集めて「小雪さんは、3日前に引っ越したそうです」と言った。

みんなの「えー!」「なんで?」「何も言わずに?」との声に、先生は言いにくそうにしながら、「ご両親がお金を借りたんだけど、返せなくなって引っ越してしまったんだって」と言った。

友だちが「サラ金に借りたの?」「夜逃げってやつでしょ」と騒ぐ。当時の僕はそんな言葉は知らなかった。ただ理解できたのは、小雪がもうここにはいないということだけだった。

ふと、朝のニュースで「今日は雪が降るかもしれません」と言っていたのを思い出した。降りそうで降らない濁った空と同じように、僕は泣きたいのか泣きたくないのか、よくわからなかった。

家に帰ってよく考えた僕は、「僕は小雪の特別だから、きっと小雪のほうから連絡をしてくるはずだ」と結論づけた。そう思ったら悲しくなんかなかったし、何も変わらないじゃないかと思った。そうだ、今度はちゃんと綺麗な便箋と封筒を使って手紙を書こう、と。

次の日から僕は、一日中そわそわしながら、電話の近くをうろうろしていた。電話がかかってきたときに親が出てしまったら、小雪は電話を切ってしまうかもしれない。そう思ったから、すぐに電話に飛びつける場所にいなければと思っていた。

3日ほど経った夕方、ジリリリリーンと電話の音が鳴り、僕は予定どおり電話に飛びかかって受話器を取った。

受話器の向こうから、「もしもし」と小雪の小さな声がする。僕は、ほらやっぱりねと心底安心して、でも待ちかまえていたことを悟られないように平静を装って、「おう、元気?」と聞いた。

ざわざわと人の声や車の音がして、小雪の声がよく聞き取れない。公衆電話からかけているらしい。「今どこにいるの?」と聞いてみたら、「大阪のほう」と言う。「遠いから、小銭を入れてもすぐになくなっちゃうの。いつ切れるかわからない、途中で切れちゃうかも」と早口で話す。

そうか、じゃあ何を話せばいいんだろうと慌てて考え、とりあえず「電話番号を…」と言いかけたとき、電話はツーツーと音を立てて切れてしまった。

待ちに待ってかかってきた電話は、あっという間に終わってしまったが、僕は落ち込んではいなかった。だって、小雪は僕に電話をしてくれたんだから。変な終わり方だったし、きっとまたかけてくれるはずだ。そう思って、次の日からまた電話の近くで飛びつく準備をしていた。

その後、鳴った電話に飛びついては空振りをくらうということを何回か繰り返しながら新年を迎え、1月5日だっただろうか、やっと受話器の向こうから小雪の声が聞こえた。

僕は飛び上がるほど嬉しかったが、また平静を装って「元気にしてる? 新しい学校の準備はどう?」などと、他愛もない話をした。小雪は「今日は何分話せるか計算してきたの。あと○○分」とカウントダウンしながら、今思えばどうでもいい話に時間を費やした。

話せたのは、ほんの5分程度だったと思う。だが、その日はちゃんと「もうすぐ切れるよ。じゃあね、元気で。またね」と小雪が言って、僕も「うん、またね」と言ってから電話を切ることができた。小雪は「またね」と言ったんだから、またかかってくると確信していた。僕たちは遠く離れていても、きっと大丈夫だと思っていた。

だが、その後、1週間経っても、2週間経っても、小雪から電話がかかってくることはなかった。


1か月ぐらい経った頃だろうか、先生が僕をこっそり呼んで、「小雪さんが転校した学校がわかったんだよ。住所はわからないけれど、小雪さんの荷物を学校あてに送るから、手紙を渡したいなら一緒に入れてあげるよ」と言ってくれた。

僕は、小雪が好きそうな可愛い便箋と封筒を選び、言葉を慎重に探しながら、そのときの僕が書けるいちばん丁寧な字で手紙を書いた。なんとなく、この手紙が最後になるような気がしていた。だから、今まで平静を装いながらしていたどうでもいい話ではなくて、本気で「手紙でも電話でもいい。とにかく連絡をしてほしい」というようなことを書いた。小雪が「連絡をしよう」と思ってくれますようにと祈りながら。

次の日、先生が僕の手紙を荷物に入れて、段ボールの封を閉じた。宛先は、兵庫県の小野市にある小学校だった。

先生が「ちゃんと小雪さんに届くといいね。返事が来るといいね」と言った。そのときに気づいた。そうか、小雪に届くとは限らないんだ。親が先に開けて、僕の手紙を捨ててしまうかもしれない。

でも、だからと言って、どうしようもないことだ。僕には、返事を待ち続けるしかできないのだから。

それから僕は、彼女とやりとりした小さな手紙を小さな袋に入れて、お守りのように毎日ポケットに入れて持ち歩いた。

女々しいとはわかっていたが、それを持っていたら、彼女から連絡が来るような気がした。彼女から僕が見えているような気がした。どこかの漫画で見たように、空を見上げて「僕は元気でやってるよ、君もそっちで頑張ってね」とつぶやいたら、きっといつか会えるような気がしていた。


小雪から連絡はないまま、僕は6年生になった。

夏休み、友だちの家へ泊まりに行ったときのことだ。風呂に入らせてもらったとき、いつもの調子で着ていた服を洗濯機の前に脱ぎっぱなしにしてしまったのだが、友だちのお母さんが気を利かせて、僕の服も一緒に洗濯してくれたのだ。

ポケットには、小雪の手紙が入っていた。

そのことに気づいたのは、翌朝、友だちのお母さんが僕の服を持ってきて、「ごめんね。ポケットに何か入っていることに気づかず、洗っちゃったの。大事なものだったかしら…」と申し訳なさそうに言ったときだった。

僕は、平気な顔をして「いえ、大丈夫です」と答え、粉々になった小雪の手紙を見ながら、「ああ、もうこれは、諦めろっていうことなんだな」と、ぼんやりと思った。

小雪の最後の電話から、7か月が経っていた。


それでも僕は、しばらく、きっと何年も小雪を待っていたと思う。

諦めるっていうことがどういうことか、よくわからなかった。もう小雪から連絡が来ることはないだろう。「小雪から連絡が来る」ということを期待するのはやめた。でも、それは小雪を好きじゃなくなったわけじゃない。

好きだっていう気持ちは、会っているときに楽しいとか嬉しいって感じることよりも、会えないときにどれだけ相手のことを考えているかっていうことのほうが重要なんだろうなと感じていた。

兵庫県の小野市に引っ越した小雪は、今もそこにいるんだろうか。関西弁を話せるようになったのかな。いつか会えるときが来たら、小雪の関西弁を聞いてみたいな。僕も話せるようになれたら、楽しいだろうな。

そんな起こりえない小雪との未来を想像しているうちは、僕はまだ小雪のことが好きなんだろうな、きっとこういう想像をしなくなるときが来たら、僕はやっと小雪から卒業することができるんだろうと思っていた。


◆◆◆

そうやって、小雪がいなくなった日から、もう40年も経った。結局、小雪からの連絡はないまま時は過ぎて、僕は50歳になった。

いつ小雪のことを考えなくなったのかは忘れてしまったが、僕はあれから人並みにいくつか恋をした。そして、妻と巡り合い、恋に落ち、今に至るわけだ。

今日食べるチョコレートケーキが、いかにおいしいケーキかということを熱く語る妻を見ながら、23年前、妻にプロポーズした日のことを振り返っていた。

あの日は、どんよりとした曇り空を見上げながら、小雪のことを思い出していた。そして、小雪の手紙をずっとポケットに入れていたことを思い出し、カバンに入れかけた婚約指輪をポケットに入れた。

ポケットに入れたら、5年生の小さな小雪が見ていてくれるような気がした。「プロポーズ、頑張ってね」と背中を押してくれるような気がした。空を見上げ、「君もどこかで、大切な人と特別なクリスマスイブを過ごしていますように」と心の底から祈り、妻のところへ向かったのだった。

はっと我に返り、時計を見て慌てて準備をする。今日は金曜日だ。クリスマス・イブとはいえ、普通に会社に行って、普通に仕事をしなければならないのだから。妻も「たいへん! 仕事に遅れちゃう~!」と言って、慌てて準備を始めた。


クリスマス・イブは、今でも妻との特別な日だ。

だけど、40年目の今日だけは、少しだけ、小雪を思い出してもいいかな。

ニコニコしながら僕の頭をポンポンと叩いていた小雪を思い浮かべたあと、その先の未来の小雪を思い浮かべていく。色白で綺麗なまま大人になった小雪と、横には小雪にそっくりな女の子。楽しそうな関西弁が聞こえる。

小雪も、どこかで、幸せなクリスマス・イブを過ごしていますように。




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