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アラサー女、勝手に教育方法持論。1

こんにちは。
いやいま夜なんですが、なんとなく。

前の記事でもご挨拶しましたが、私アラサー独身女です。
アラサーといいますとゆとり教育真っ盛りな子ども時代を過ごしまして。
今、自分の過去を振り返りつつどんな教育が今後の子どもたちのためには必要なんだろうな~ということを、勝手に考えてみたいという趣旨です。

早速教育について勝手に語っていきたいと思います。
といっても、私は大学で教育課程も挫折したし、まじで勉強してないので、
とんちんかんなことも言うと思います。個人の意見ですので、そのあたりはどうぞよろしくお願いいたします。


えっと。

まず、最近の幼児教育とか、小学校の教育とかって、わりと進んできてるなっていうの感じたりはしてるので、私が言うたところで、いやそんなのもうとっくにされてるよ、とかってこともありそうだなあ。と感じることもあるのですが。それは追い追い勉強していくとして・・・

幼児~小学校の教育。

私個人的には、この時に圧倒的に足りてないなと思う教育分野がありまして。

それは「音楽」と、「美術」です。

「保健体育」ももちろん大切でして、大きく関連するとも思っているのですがまず、上のふたつの大事さについて、考えたいなあ、と思います。

小学生の頃の「音楽」と「美術」の授業、
皆さん覚えているでしょうか?

もちろん稀に見る素晴らしい先生にあたって、音楽が大好きになったとか、絵の才能を開花させるキッカケをもらいました!という方も世の中には多くいらっしゃると思いますが・・・

私は、残念ながらそうではない生徒で。
なんとなーく授業受けて、なんとなーくたのしい、合唱は苦手。みたいな
そんな感じでした。

でも、大人になってクラシックのよさなんかを感じられるようになってくると、このよさを知るだけで世界がめちゃめちゃ広くなるじゃん!ということを知り、感動するわけです。

まあ、大人になったからわかるんでしょ、という説もあるんですけれども、私はもっと小さい時に、特におませさんだった小学生時代あたりに、もっともっと深く音楽について学ぶ機会があったなら、どんなにか豊かなことだろうと思いを馳せてしまいました。

音楽っていうのは、お金がかかります。基本的に。
そして腹の足しにはなりにくい。
だから、勉強する、といってもほんの少しふんわり通るだけで、終わってしまいがちです。(現代教育どこまで進歩したやろか…)

しかしながら、例えば作曲家の生涯について深く知るだとか、日本の音楽の変遷とヨーロッパのそれを聴き比べてみるだとか、また、いろんな楽器の音を聞いて、好きな音色を探してみるだとか。
そういったことを幼少期~小学生、その時代にたくさん体感できたら、その子の心の豊かな広がりの有力な助けとなるのではないか・・・!

ということを、常々考えてしまうわけです。

音楽にはお金がかかる。
だからこそ、義務教育でなるべく平等に、深い学びの機会を与えるべきではないかと。

私は、正直小学生の時に一番必要なのって「心の豊かさ」を育む教育だと思うんですよね。
相手を思いやる、想像力、労わる気持ち、感謝の心…。
人間の「綺麗事」の部分です。

綺麗事だけれども、幼少期に綺麗事に触れた数だけ、心は豊かに育ち、綺麗事を返そうとする人間に少しなる。
そんな気がしておりまして。

音楽はそんな人間の綺麗事な部分を引き出してくれる。そんな魔法を持っているな、なんて思っています。(アラサーが何言っちゃってるんでしょうね…でも大マジです…!

で、特に、いや私も勉強不足なので例えが有名すぎてピンとこないかも知れないんですけども、例えば小学生の時に、ベートーベンがどんな人生を送ったか、みたいなことを、ありありともしも記憶に刻まれるくらいにしっかり授業で聞いたらば、、、何人かには強烈な印象が残るんではないか、その後の人生を変えてしまうくらいの。と思ったりするわけです・・・

小学生の頃、今はいない昔の偉人の話をされると、自分とは全く関係のない世界の人だと感じていました。
むしろ、人だという認識すらあやしかったです。(ぇ
彼らは「偉人」で、「人」ではなかったんですね。
想像力すら持てませんでした。(ゆとり教育とかいうより地頭の問題…?

でも、今だといろんな動画で昔の詳細な暮らしぶりとか、偉人の実話、みたいなのたくさん知れるじゃないですか。
ぐっと近くなった偉人たちの物語は、ちゃんと入ってくるんですよね、映像として。頭の中で、想像できます。

見たことがないから想像できなかったけど、今ならいろんな媒体を使って想像力を掻き立てることができます。
音楽の授業の座学で、たくさん動画を見せてほしい。
もちろん偉人の生涯だけじゃなく、たとえばバレエやオペラといった舞台芸術の分野も、小さい頃から当たり前に触れる環境を作りたいものです。
当然のことながら西洋文化だけではなく、能や歌舞伎といった日本の古典芸術も。

子どもにはそんなもの早すぎる。飽きるし、理解できないだろう。という声が聞こえてきそうですが、そんなことはないと思うんですよね。
もちろん、見た上でつまらない、わからない、興味ない。という感想を持つ子は少なくないかもしれないですが、そういった文化のひとつひとつに、一度触れてみる、触れている、知っている。ということが、とても大切だ、と私は思います。
「知らない」のと「知っている」けど興味ない、のでは雲泥の差です。


長々と音楽についてばかり書いてしまいましたが、次は「美術」です。

「美術」も、音楽と同様に本気でやろうと思えば、お金もかかるし、
もちろん腹の足しにもなりにくい。芸術とは得てしてそういうものですが…
お金がかかるからこそ、義務教育で皆等しく学ぶ機会を…云々。というのは先述したので割愛しまして、

「美術」もまた、心を豊かに育てるのに大きな役割をもつと思います。
周知の事実かもですが。

とはいえ私も美術に通じている訳でもなく、ただなんとなく下手の横好きで絵を描いてみたり画集を眺めてみたりする程度なんですけども。
なので偉そうなことはひとっつも言えないのですが。

「美術」に触れると何ができるか。

というと、一言でいえば、「言語化できない感情を表現できる」だと思います。

それってこの時代に於いて、まじで必須習得スキルなんじゃないの!?と思える効果効能を持っていると思うのです。(あくまで個人的に)

まあ、これは芸術全判に言えることなのですが。音楽でも、プレーヤーになればそのスキル獲得です。

「言語化できない感情」というのは様々あると思いますが、ぶつける場所があるだけで人生とても救われるものだと思います。
もちろん抱えてなんとか生きていく強い人もいますが、壊れやすいです。
得意なスキルがある人は、なんだか心にゆとりがある。楽しむ方法を知っている。そんな感じがします。

とは言いつつ、幸いなことに、最近私の周りの若い人って自分でそういうスキルをしっかり身に着けている人も多いです。
発信力、創作力、そういうものを持っていて何かを作ったり、楽しんだりしている。
それこそ本当に育った環境に左右される、とも感じています。
自分の好きなこと、得意なことを伸ばしていけるかどうか…はやはり、育った家庭環境にその余裕があるか、ゆとり、遊びがあるか。というのもとても重要になってくると思います。

あと、「美術」を学ぶことの意味として、自分の「美的感覚」を養う、という点でもとても重要かなと思っています。

まず「美的感覚」を養う必要性について、それは「自分で判断する力」を身につけることと同義だと思うからです。
着るもの食べるもの習い事云々、諸々親に決めてもらって育つ子どもが多いです。(今はちょっとは違うかも)
そうすると、自分で自分の「好き」がわからなくなる、ということが起きると個人的に危惧しておりまして。
「嫌い」「イヤ」はわかるけれども、「これがいい」「なぜいい?」はわからない。なんとなく選ぶ。
なんとなく選んだって全く問題ないんですが、だんだん、自分の決定に自信が持てなくなる、っていう経験ある人もいるんじゃないでしょうか。

自分の選んだ服がセンス悪くないか?とか、気にし始めて、何色が似合うか?とかそういうパーソナルなこともよくわかんない。聞いてる曲すらも、流行ってるから、なんとなく聞いてるだけ。実はそこまで好きでもない。
だんだん、「好き」があいまいになっていく。
なんとなく選んでいたから、選んでいたその理由がわからないから、だんだん自分がわからなくなっていく・・・

そういうことってある気がしませんか。

幼いころから、いい絵を見る。たくさん見る。
なんでいいんだろうとか、そりゃ最初は考える必要なんかないけど、だんだんと、こういう意図でこの絵は描かれた、とか、この時代背景だからこそこの画風は生まれた、とか。
そういうことを学年を重ねて学んでいく。
美術館や美大に将来行かなくとも、小学校で、美術の基本的なことは歴史も含めちゃんと丁寧に触っていく。

別に、全部を理解する必要はまったくないと思います。

ただ、見たことがある、聞いたことがある、なんとなく知っている。
それは、その後の人生にとても豊かに作用する。
そう思えて仕方ありません。

多分、そうやって育ってきた、という方々も実際に多くいて、そんな人がこの文章を見れば、なんて当たり前なことを言っているんだろう、とお思いになるかも知れないんですが、私個人としては、日本の教育の、「音楽」「美術」、つまり「芸術」へのアプローチはまだまだ貧しいものであるように感じてなりません。

人生を豊かにするもの、それは腹の足しにもならないようなこと。だったりもすると思う。将来その職に就くことが無くても、芸術を知っていることは大いに世界を広げてくれる、そう思うのです。

というわけで、私の個人的な幼少期~小学生必修科目、そして国語算数理科社会よりガッツリ勉強すべきは「芸術」!という勝手な持論でした。

ちょっと補足すると、

でも国語算数理科社会が大事じゃないって話ではないんですよ。
ただ「芸術」を生んだ時代背景は?から(国語算数理科社会に)入ったほうが、それらをよりよく理解しやすい、と思うんです。順序として。

だって社会で聞いたことない言葉永遠に丸暗記するより、あ、この画家知っている、あの作曲家の肖像見たことある~、から入る歴史の勉強の方が興味が持てると思いませんか。
あの絵はこの時代の人が描いたんか~、と覚える方が、この時代にはこういう流れがあってこういう絵が描かれました。と説明されるより全然ビジュアルイメージつきやすい。
と思うんですけどどうでしょう。

芸術を学ぶことって、世界の歴史を学ぶことだと思うし・・・

そして時代の流れをなんとなく掴めていければ、数学だって掴みやすくなる。と思うのですが。
理科だって。

まあ、そんな感じで、「芸術」を学ぶことは遠回りのように見えて一番近道なんじゃないかな、ということをお伝えしかたったのです。

乱文って感じですみませんですが、ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、ほんとにありがとうございます!!!

今日のところは終わりです!

次は、たぶん「保健体育」についてかな?(気が変わらなければ)と思います!
それでは!

mm

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