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ウォーキング・アライブ

 つい一昨日まで、例年にないくらいの暖かさだったのに、突然寒くなった。露骨な三寒四温に、天気のバグさ加減を感じる。

とは言え、相変わらず朝いちばんにベランダに出て朝日を浴びるのは気持ちが良い。特にこの季節は空気が澄んでいるから、散歩も捗る。

道を歩いていると、良くお年寄りに声をかけられる。なんとなく声をかけやすい空気を出しているのだろう。たわいもない世間話。こういった時は僕 2:お年寄り 8 くらいの割合で話をする。ほぼ聴き役だし、僕は相槌を打ちながらお父さんお母さんたちの名調子に華を添える。その塩梅が心地良かったりする。

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 彼らの話を聴いていると、当然だが知恵と含蓄がある。

驚くのは、みな一様に柔軟であるということだ。

「老人は頭が固い」という固定観念は吹き飛ばされる。長い年月をかけ、自分自身の見聞を大事にしつつも、若者(という歳でもないが)の声に耳を傾ける姿勢を持っている。価値の多様性をちゃんと認めてくれているのだ。少なくとも、立ち止まって話をする限り何かの価値観を押し売りされた記憶はない。

だからこそ僕は耳を傾け、できる限り取りこぼしのないように彼らの話を聴く。それだけで、彼らはとても満足した顔をして、お互い笑顔で手を振り合い別れるのだ。

こうした原始的なやりとりが気持ちいい。現場じゃないと分からない楽しさがあるから、朝の散歩やウォーキングはやめられない。

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 卵が先かニワトリが先なのか。頭が柔らかいから話が弾むのか、話かけていくから柔軟な頭になるのか。分からないけど、色々な人たちと話すことで、アップデートを繰り返してきたことは間違いないのだろう。

見ならうべき姿勢を持つと同時に、僕という存在が、たとえ刹那的であっても彼らにとって一つのメモリーとして刻み込まれていくのであれば、これほど嬉しいことはない。

今日はこんなところで。

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