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ライティング・サイクル

 人それぞれ、記事を書く "ベストな時間帯" というものがあると思う。

書く記事の内容にもよるだろうが、僕の場合、 note の記事は朝イチで書いてしまう方が気持ちいい。

起床後、心身がリフレッシュできた状態で、思うがまま書くことへのハードルも下がっている感覚を維持しながら書く。ストレスのない状態で書き上げた文章は、どこかしら伸び伸びと、良い意味で遠慮がなく、それでいて嫌味も無いから気に入っている。

夕方や夜に書くのも良いが、僕の場合はどうしても「一日揉まれた疲弊」も手伝ってか、思考を上手く note モードに切り替えることができない。

この場合の「揉まれる」は、単なる物理的疲弊ではなく、SNS を見てぼーっと過ごしたり、特に何もしなくても、情報摂取ともに何だかパフォーマンスが落ちていることも含めての「揉まれる」だ。

受け取るものが大きくなるにつれ、ノイズも比例して多く含まれていることもあり、どこか「淀み」を感じながら、無理して文章をひねり出しつつ書く場合が多い。出来た記事も、力が妙に入っていたり小難しい印象だったり、独りよがりめいた理屈も多かったりする。

だから僕は、ネタも自分自身も「寝かせる」ことが多くなった。

肉体のコンディションがそのまま思考のコンディションと直結しているからこそ、肉体が一番元気な時を狙って書くようにしている。特に「良いことを書こう」としなくなってからは、その傾向がより顕著になった。

僕の場合はそれが "朝一番" というだけだ。

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 これは人それぞれだから、もちろん「夜の方が深く自分の心に入っていける」という人も多いだろう。

昔は僕も、夜中まで日記を書き続けるタイプだった。夜中の方が自問自答の精度が上がると思っていたし、頭も冴えているような感覚に浸っていた。

ただ、夜中に書くラブレターが必要以上に感情の込もったものになりがちなように、夜の思考状態には「人をある方向に向けて無敵にさせてしまう悪魔」がいるように思う。

結果、その悪魔が放つ「一定時間無敵」の魔法に身を委ねながらどんどんエモーショナル値だけが高まって行き、気がつくと「感情丸出しの小っ恥ずかしいポエム」ができあがっていたりする。

それはそれで、半覚醒的なバーサク状態を味わえ、ある意味趣もあるのだが、年を経た今、そこまでのテンションに好んで浸るよりは、「パッと寝てスカッと起床し、朝の澄んだ頭の中一気に綴る方が健全」という思考に完全に変わってしまった。

とは言え、たまに夜中のラブレターが恋しくなる瞬間も、あることはある。

今日はこんなところで。

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