脱皮の代償
人間は日々成長していくもの。
昨日まで好きだったものが、今日は「何か違うな?」と感じる時がある。
昔好きだったコミュニティやジャンルが、ある時期からとても苦手になるという局面に遭遇する時がある。
僕は、この繰り返しだった。
小中高、専門学校と、今連絡を取り合っている友人は現在ほぼいない。同窓会のようなものが開かれても、まず顔を出さない。
だから、半生通して友人が定着する事があまりない。お互いに刺激を受け切磋琢磨する事がきちんと自分の見据える未来と合致している時は、一緒に居る事も苦痛ではなくむしろ刺激的だが、その人たちが同じ場所を大事にしすぎて視野狭窄な仲良しこよし感に浸り出すと、とたんに幼く見え、一歩引いてしまう節がある。
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自分が影響を受けてきたことには感謝したい。
だが、自分を「信じる」事と同じくらい、自分を「疑って」いる。
自分が生きている世界観を大切にしたい一方、世界観からいち早く抜け出したいという複雑な欲求が絶えず同居している。
自問自答を日々続け、自分の中で生まれる「小さな思い」をいちいち形にし続けていると、極端な話、毎日レベルで "意識のアップデート" は繰り返されていく。そうなると、昨日愛でた価値観に対して、今日はあまり響かないといった心境を経験する度合いも自ずと増す。
だから、同じ場所にいつまでも居続けることが難しい。
すごく自己中心的なのかも知れない。周りとの調和を保ち、共感性高く生きる事ができたらもっと友人も多いのかも知れないが、正直何も得る事ができずにただしがらみで付き合うような友人関係なら、一人で家の中で本を読んでいる方がマシだったりする。
昔は、この現象の具体的根拠が分からなかったので、"自分に一貫性がない" とばかり思っており、友人も離れていくんだな、と思っていた。
しかし、今にして思うと自分が友人から離れていたのだ。一貫性がないように見えて、「精神的脱皮を日々試みた末の正直な思いに従う」という一貫性はずっとあったのだ。
先手を打っているのは、あくまでこちら。友人たちは僕の雰囲気を察して、居心地が悪くなり、見切りをつけ去っていくのだろう。
脱皮には代償が伴う。
こればかりは仕方ないし、実際あまり寂しいとも思わない。
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色々思うままに綴ったが、少ないながらも「お互いに己を磨き合う」ような友人は幸い居てくれる。
その人たちと「今この瞬間」の価値観や苦楽を共にするだけで今はいいのかな、と思っている。
今日はこんなところで。
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