サウナにはいくつもの顔がある--『至福の北欧サウナ』
1月10日、グラフィック社から『至福の北欧サウナ』が発売されました。
上の写真の右側がスウェーデン語原著です。Bastu というのはスウェーデン語でサウナのこと。もともとは badstuga で、これは bad と stuga の合成語、「風呂小屋」という意味でした。
「スウェーデン発のサウナ本? サウナと言えばフィンランドでしょ」とお感じになったそこのあなた。私も同感です! 私の周りのスウェーデン人数人にサウナについて聞いてみたところ、「あんなの熱いだけだから嫌」との答えばかり。唯一、サウナ好きの方はフィンランド系でした。
人口550万のフィンランドには300万個ものサウナがあるそうです。分譲アパートにはサウナが付いていることが多く、それなしでは再販は難しいとか。公共サウナもフィンランドには多いですよね。スウェーデンでは気楽に行けるサウナは数少ないです。
と、このようにフィンランドースウェーデン間ではサウナに対する熱量の差を感じるのですが、それでも隣国同士。とくに16~17世紀にはフィンランドから多くの開拓民がスウェーデンに到来し、原野を切り開くと同時に熱いサウナ文化をもたらしました。
本書『至福の北欧サウナ』の最大の魅力はサウナの多面性を描いていることです。
裸になるサウナでは、誰でも平等になれるとよく言われますが、本当にそうでしょうか? そもそも招かれなかった人は? とくに女性がそうですね。高級スパと市営サウナでは敷居の高さが違います。本書では、公共サウナ内における見えないヒエラルキーにもちらりと触れています。
歴史上、サウナの機能は風呂だけではありませんでした。モルトや亜麻の乾燥、さらには肉や魚の燻製に使われることもありました。出産の場でもあり、新婚カップルが初夜を過ごすことも、死者を埋葬まで安置することもありました。
芸術では、サウナの多面性が作品に光彩を添えています。
本書で紹介される文学作品は、古典中の古典『カレワラ』からフィンランドの戦争文学の至高『ここ北極星の下で』、それから現代スウェーデンの推理小説など多様です。翻訳者としては、サウナが登場する未邦訳のスウェーデン・ミステリが気になります。Gösta Unefäldt や Stieg Trenter などの作品は(古すぎて)もう翻訳されないかもしれませんが、レイフ・GW・ペーションの作品(Faller fritt som i en dröm)はチャンスがあるかも!(久山さんよろしく)
サウナの多面性について、著者は次のように考察しています。
『至福の北欧サウナ』は総ページ数240で、写真とイラストが半分くらい。そこにサウナと歴史、文化、政治、スポーツとの関係、それに料理のレシピが、著者のサウナ愛とともにコンパクトに詰まっております。サウナの待ち時間に気楽にお読みください。
本書翻訳中にはたくさんのサイトにお世話になりました。フィンランドのサウナ外交について参考にしたのがこちらです。
プーチンとサウナ|草彅洋平『日本サウナ史』 (note.com)
拝読しながら、驚くと同時に笑い転げておりました。
フィンランドサウナの歴史については、こちらを読んでハッとしました。
「フィンランドにおけるサウナ7世代」ISC_paper05.pdf (sauna.or.jp)
なぜ最初のサウナはテント式だったのかーー狩猟採取時代の人々は移動していたから。
なぜ2世代目のサウナは傾斜地を掘ったものだったのか--青銅器時代になり、穴掘りの道具ができたから。
なぜ丸太小屋のサウナが登場したのか--鉄器時代には斧がつくれるようになったから。
そうか、斧がなければ木を切り倒すことができないんだ--という当たり前のことに、このサイトを読んで気づきました。
日本の風呂の歴史を調べても、最初の風呂とは蒸し風呂のことで、蒸気で肌の垢を浮かせていたそうです。風呂の語源は「ムロ」、つまり山室(やまむろ)のことでした。
「サウナだと水が最小で済む」という逸話が本書にも出てきます。昔は水汲みは重労働でした。薪だって貴重な燃料だったはず。
蒸し風呂(発汗浴)は古代には世界各地でおこなわれていたのですが、寒冷地フィンランドに根強く残ったものがサウナなのでしょう。
最後になりましたが、中村冬美さんたちが訳した『サウナをつくる』の著者の参考文献として本書も挙げられています。あわせてお楽しみください。
フィンランド語の発音やフィンランド事情については、セルボ貴子さんのお世話になりました。厚くお礼を申し上げます。
(文責:羽根 由)
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