プーチンとサウナ
「サウナ」ブームの終焉
サウナの本まで書いている僕が言うのも正直なんだが、今年で「サウナ」ブームは終わると思っていた。
「おいおい、こんなドラマやイベントで盛り上がっていて何を言っているんだ! ソロサウナ施設だって大型施設だって続々できているじゃないか!!」
そう怒る人は、ちょっと待って欲しい。僕が言っているのは全体としてのサウナブームは続くが、今年は爆発的な「バーニャ」ブームが起こると思っていたという話である。そう、サウナブームが加速した結果、フィンランドの「サウナ」にロシアの「バーニャ」が取って代わると予測していたのだ。
バーニャとはロシア式の蒸し風呂のことだ。サウナとの違いは……あるようでハッキリ言えばない。
この辺りの詳しい話は拙著『日本サウナ史』の第5章ー02に詳しく書いたので購入して読んでもらえれば幸いだが(宣伝)、ポイントは<ウィスキング>だ。日本ではこれから爆発的なウィスキング・ブームが起こり、総じて寝台のあるロシア式の蒸し風呂が流行していくと、船橋「ジートピア」で鮮烈なウィスキング体験をした年末の僕は予測していたのである。
ロシアのウィスキングとは何ぞや、という人は以下のリンクを読んでみて頂きたい。
だが2月のロシアのウクライナ侵攻でそれもすべて水泡に化してしまった。今後数年の間に「バーニャ」ブームが起こることは確実にないだろう。ロシアから輸入しているテントサウナ業者は多いが、ロシアと経済的なつながりを持つことは人道的にも非常によろしくないように思う人も多く、今後良識ある人はロシアから手を引いていくだろう(僕もその一人だ)。
『日本サウナ史』を読んでくれた人ならわかると思うが、僕は自著の中で、戦争がスポーツマンたちの間で育まれた美しいサウナの歴史を切断し、取り返しのつかないオリンピアンの死者を生み出したことを記した。戦争は極端な破壊と悲劇以外何も生み出さないのだ。
そんな戦争が眼前で起きている。ふと自分がウクライナにできることはなんだろうと考えた時、プーチンの思考をサウナ目線で書くことだと気づいた。こんなことを書こうと思うのも、書けるのも僕くらいしかいないのだから(おそらく)。そのため本テキストは決してプーチンを賛美するためのものでも肯定するものでもない。あくまでサウナを通してプーチンの実像を浮かび上がらすという、政治記者ですら誰もやっていない文章実験である。
というわけで書き始めた本文が最終的にどのように帰結するのかは、現時点の僕には皆目わからないし、もしかすると尻切れトンボのような話で終わるかもしれない。また僕はロシア文化の専門家でもなく、語学は苦手。当然ロシア語ができる人間ではないので、基本はDeepL翻訳の力を頼りにネットの海を漂うよりない。『日本サウナ史』を書いてわかったのは、ネットは情報としては正確さに欠け、資料として心もとないという事実であったため、書き手から言うのも大変申し訳ないが本稿は噂話程度で留めておく必要がある。そのため間違い等あればドシドシ遠慮なくご指摘頂きたい。
さあ、それではウクライナの平和を取り戻すために、プーチンとサウナについて語っていこうではないか。
キスし、互いに股間を握りあう
さまざまな側面からプーチンとサウナについて語る前にどうしても書いておかねばならない人がいる。プーチンに権力を与え、今日までの独裁のレールを引いた人物のことだ。
1996年、サンクトペテルブルクからモスクワに転居したプーチンは、大統領府総務局次長に就任した。その後わずか4年で大統領にまで、あっという間に上り詰めてしまうのだが、その背景にはプーチンを強く推した大物がいたことが大きな影響を与えた。その大物こそが初代ロシア連邦大統領および初代ロシア連邦閣僚会議議長(首相)を務めたボリス・エリツィンである。エリツィンがプーチンを見出し、信用し、この口の固い男なら俺を裏切らないと後継者に選んだのである。
さて、そんなエリツィンがサウナになみなみならぬ情熱を持っていたという話を書いている作家がいる。元外務省主任分析官でロシアに詳しい作家の佐藤優氏だ。彼の『インテリジェンス人間論』から引用しよう。
フィンランドの政治でもよく使われるというサウナ外交。これがロシアでも頻繁に行われており、特にエリツィン大統領にとって重要な意味を持っていたというのだ。
1997年クラスノヤルスクで橋本龍太郎総理とエリツィン大統領の首脳会談があった。会談に先駆け、鈴木宗男と佐藤優が橋本総理にエリツィンとの付き合い方を講義する様子が著書には描かれている。今後の交渉の優位に立つために、エリツィンがサウナに不慣れな橋本首相を「教えてあげる」というサウナプログラムが組まれると佐藤は予測していたからこそ、橋本首相に事前にロシア流の「サ道」を教えたのである。
結局のところ、ロシアに渡った橋本首相に対してサウナプログラムは実施されなかったのであるが、だがこれを読む限りでもロシアのサウナの入り方は日本式と比べてかなり独特であろう。男同士でキスをし、イチモツを握り合ってサウナに入るというのはあまりにも…….直接的である(こんな風にして入るサウナは、日本では僕の知る限り「24会館」しかないのではないか。僕は行ったことはないが)。
佐藤によるとロシアではエリツィンの寵愛を得るためにサウナで激しいキスとイチモツの握り合いの応酬が行われていたという。「浴場で男達の愛と嫉妬の激しい物語が展開されていた」のである。1996年秋にエリツィンの心臓病が深刻になってから、サウナパーティーの回数は減り、内容も穏やかになったというが、おそらくこのパーティーにはプーチンも頻繁に呼ばれていたに違いない。想像するのもなんだが、エリツィンとプーチンはお互いのイチモツを握り合い、熱く抱擁することが多々あったであろう。
なぜエリツィンはサウナパーティを行うのか? この行為について説明を求めるのであれば、佐藤の別の著書からの引用がわかりやすい。
酒を酌み交わしてこそわかる人柄があるというのは、「昭和かよ!」と思いつつも酒好きなら「うんうん」と頷ける話であろう。同じくサウナも肉体が裸になった瞬間、心も解放され、その人の本質がより露わになるのが通じるところがある。人間不信にかられていたエリツィンが、サウナで酒を酌み交わしながら、周りにいる人間たちの本心を知りたいと思うのは当然のことだ。サウナでの一挙一動を注視しながら、周りの人間たちが信用できるのか、信用できないの熟考していたに違いない。そしてその結果、エリツィンのお眼鏡にかなった人間がプーチンであるということを僕たちは忘れてはならないだろう。
このテキストを読んでいるあなたがサウナーで、サウナに人を連れて行ったことが一度でもあるなら、サウナひとつでそこまで信頼を勝ち得ることの難しさを知っているはずだ。そうした意味で、プーチンこそロシアNo.1のプロサウナーのといっても過言ではない。
しかしながらオールドサウナーであるエリツィンのサウナでの見立ては正しいものではなかったことが晩年のニュースからも窺えるのが寂しい限りである。エリツィンは最終的には信頼したプーチンに監視され、自由を奪われ、孤独に死んだ。そう、KGB出身のプーチンは素っ裸であるサウナの中でも仮面を被っていたのである(もちろん包茎の意味ではなく)。
サウナとプーチン
それではここでプーチンの水風呂の入り方を見ていただきたい。
2021年1月20日のニュースで、ロシア正教会でキリストが洗礼を受けた日とされる「主の洗礼祭」の19日、ロシア各地で信者らが極寒の海や川で沐浴(もくよく)する伝統行事が行われるのだが、そこにプーチンがいた。
見事な水風呂の入りっぷりではないか!!
氷点下20度の寒さという中、厚い上着とブーツを脱ぎ、伝統に従って十字を切りながら3度水に漬かる。それも頭まで。
十字架の氷柱に十字架に模られた水風呂が超絶カッコ良い。そして十字を切って水風呂に入る姿もクールに見えてしまう。僕も真似してプーチン流に入浴してみたところ、施設でやると周りに誰も人が寄り付かなくなるから要注意だ。
「聖水」とされる水を浴びたり飲んだりすると無病息災につながると信じられているこの儀式、実はこの動画、2018年バージョンも存在している。
見比べてみるとレイアウトがかなり異なっており、十字架の氷柱はなく、十字架の水風呂も一の字を反対側に渡る感じの構成となっている。さらにプーチンも頭まで水風呂に浸かっていない。覚悟が2021年バージョンよりないように見えるのは僕の気のせいか?
開けた場所で大勢の人がいるように見える2018年と比べて、2021年は司祭などの人影が見えない。暗殺を恐れているのだろうか。孤高の人、プーチンは現在の個室サウナブームの日本と等しく、いつしかソロサウナの人となっていた。
プーチンは信仰がしっかりしているという。肌身離さずもっているネックレスの金の十字架は、佐藤優氏によればエルサレムの(キリストが磔になった)ゴルゴダの丘の教会にもっていって聖別してもらったものだという。だからこそ、この儀式を重んじ、必ず参加しているのだろう。
そもそもプーチンのことを調べてみると、サウナの話が時折出てくるのが僕には気にはなっていた。
1989年にドイツ民主共和国のソ連秘密警察の建物にデモ隊が侵入するのを阻止したことを語ったプーチンのインタビューで、プーチン自身と彼の関係者は次のように話している。
プーチンはロシア人であるからこそ、昔からバーニャを愛し、仲間たちと蒸し風呂屋に通っていたのだ。
ロシアのサイトを検索していると面白いグッズが売られている。
ヴェーニク(オークや白樺などの植物の枝葉を束ねたもの)を持って微笑むサウナ姿のプーチンのタペストリーである。
ロシアのいろいろなサイトで売られているとことを見ると、熱烈なプーチン支持者のサウナにはこれが置かれているのだろうし、プーチン自身がサウナ好きだということを自認している良い証拠であるといえよう。
2011年8月の記事には、次のようなものを見つけた。
ここで語られる「ウォッカの風呂より蜂蜜の風呂が好き」という逸話は、エリツィンが頻繁に入っていたサウナパーティー的な入り方とは異なるサウナの楽しみ方であるようだ。
2013年に「医学的には、プーチンは年齢よりもかなり若い。運動量の多い生活習慣が好成績に貢献しているのだ」とプーチンの健康問題を払拭するメディアは次のような記事を上げている。
柔道や水泳、ホッケーも定期的に行っているプーチンは健康そのもので、その健康の秘訣はバーニャ(サウナ)にあると言及しているのだが、健康を壊して権力の座から降りたエリツィンのように、バーニャでウオツカを呷るような馬鹿な真似はしなかった。権力は永遠に続くからこそ、絶対的な力を持つことをプーチンは知っていたのだ。
2021年、プーチン大統領は2036年まで自身の大統領在職を可能にする法律に署名しているが、現在2022年現在まで大統領の任期を4期務め、約20年以上ロシアの権力に君臨している権力者である。
バーニャでは蜂蜜入りの紅茶を飲むからこそ、「ウォッカの風呂より蜂蜜の風呂が好き」書かれたわけだが、それはいわば権力を保持するためであった。
偉大なバーニャ師匠であるエリツィンは、バーニャで酒を飲むなということを教えてくれた反面教師になった。
バーニャでは紅茶に蜂蜜、これがプーチン流の「オロポ」なのである。
燃えるサウナと燃えないサウナ
西側諸国の政財界要人がロシアに篭絡されることを意味する「シュレーダリゼーション」という造語を知っているだろうか?
語源となったのはドイツ前首相ゲアハルト・シュレーダーだ。シュレーダーは首相時代から特にプーチンと親しく、脱原発を推進。ガスパイプライン建設に着手し、ロシアとの蜜月を築き上げた結果、退任後はロシア国営企業の取締役を歴任。2022年2月にはロシアのエネルギー大手『ガスプロム』の監査役候補にも指名されていた。そしてロシアのウクライナ侵攻でロシアから甘い汁を吸わせてもらっていた西側の大物たちが続々と役職を辞任したが、いまだロシアを擁護し続けている西欧側で最大の問題人物がシュレーダーである。
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