Yorico Doguchi

のら猫書簡をはじめました 往復書簡にはお返事がときどきあります

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「Tashme への道」~日系カナダ人収容所を訪ねた記憶

⭐︎2022年『将軍』撮影にてバンクーバー滞在中の日系カナダ人関連のメモからの抜粋 日系カナダ関連を追ってくれる相手がいたので、 tashme までいけた。 バンクーバー市内から車で180キロくらいの山の中にそれはあった。 Hope というまちを目指す。そこはスタローンがランボーを撮影した橋があったりするという、撮影隊は本当に辺境でもどこへでも行くのが常。 今回「将軍」もブリティッシュコロンビア州内のあちこちでロケした。 山間に見えてくる、 tashme は今ではキャンプ

    • 沖縄っ子たちよ!

      沖縄っ子たちよ! 今夏も世話になったなあ。 思えば30年もキャ人の誕生日を祝ってくれているんだよね。 あれは恩納村だった。 まだ恩納村が空港からどんくらい距離が離れてて時間がかかるかとか、あまり考えてもなくクラゲのように浮遊していた頃だ。 私はまだ30歳にもなってなくて、お酒飲むか仕事するか恋愛するかそんな退廃的な時代だったと思う。 なぜか沖縄っ子たちとそこで知り合って、次第に知り合いも増えていく。 まあ50歳で生前葬もあげたし、そんな愉快でバカみたいなことを一緒に やってく

      • 2007年の7月の私が残したメモ

         7月生まれの蟹座のあの人は 夏が好きで、太陽電池で生きている。 果物が好きで、葡萄の皮をせっせと剥いて食べさせてくれる。 海が好きで、砂だらけになって浜辺でグウスカピー居眠りしてる。 草花を育てるのが好きで、夏の花が咲くと子供のようにはしゃいでいる。 茄子が好きで、煮浸しを作るとあっという間にたいらげてしまう。 半袖短パンが好きで、体毛の少ないツルツルの足を長椅子にけだるそうに投げ出している。 浴衣が好きで、だけどひとりでは着られない子供のような人。 頭がいいのかバカなのか

        • あの素晴らしいニャーをもう一度

          沖縄からバナナ畑の黒猫と小鳥ののれんが届いた。 梅雨の間にヒラヒラとやってきた夏の扉。 この下をくぐる猫はいないけど。 随分前に見た映画の話。 公開前の映画も素晴らしく、公開された映画も素晴らしく、あれこれ話したいけれど、試写で何本かみた中で「密輸1970」リュ・スンワン監督による韓国映画。関本郁夫、鈴木則文とまでいかぬでもきっと十分にみているであろうテイストがジュワッとくる。しかも、海女モノ。70年代を背景にしたからゆえに密輸と女と海域と港という韓国らしさも溢れている、何

        「Tashme への道」~日系カナダ人収容所を訪ねた記憶

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        • ryo-king
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          July tree

          56歳の初秋に訪れた初めてのカナダ・バンクーバー。 初めての長期海外ロケ。 コロナ禍に於いて10話のエピソードを無事撮影できるのか、そして私の身体は心は耐えられるのだろうか。 期待と不安を胸に、どこか異星に向かってカプセルシューターに乗って飛ばされ辿り着いた先には、海峡の先、大きな丸太が転がっている港町、バンクーバーだった。 多くの移民が暮らす街。先住民が大自然と共存した地に、 白人が入植した土地。 降り立ったその場所で、時代劇を撮るための衣裳を見に纏い、鬘をかぶり、さまざ

          出会いはいつも八月

          八月に出会った人と九月の夕立の中を避けるように歩いた赤土埃の公園。 そんな夏の恋をふと思い出す一冊の予感を読み進めているうちに感じながらも、やっぱりマルケスはマルケス。描写の端的な美しさ!誰もが羨むだろう。 「百年の孤独」が文庫化された。あれを当時出たばかりの日本で私も若かりし威勢で飛びついてみたものの挫折繰り返し、肩を並べて面白がったあの日も人生の黄昏に暮れた。 「百年の孤独」という題名があまりにも有名になって陳腐化したと書かれていた、その通りだろうと奇妙な焼酎か何かのボト

          出会いはいつも八月

          15歳で表紙を飾った朝日新聞社の週刊誌からの今

          朝日新聞社に久しぶりに伺った。 土曜版beの取材のため。 思えば築地に移る前の有楽町にあった時代、15歳のおさげ髪に制服の私が母を引率者に朝日新聞社を訪れ、週刊朝日の面接で表紙モデルに合格。 そして篠山さんに撮影されて以来のあっという間の今の私なのである。 そう考えるとデビュー40年目とはいえ、そこから勘定するとこの業界に足を突っ込んで40年以上になる。 朝日新聞社に朝日ジャーナルという雑誌もあって、19歳かそこらで新人類の旗手たちという筑紫哲也さんが連載していた人物フォー

          15歳で表紙を飾った朝日新聞社の週刊誌からの今

          母が自転車を降りた日

          母の日。 世界中のお母さんへ感謝をしたい1日でした。 ふと、母が買い物で使っていた公園の脇道の新緑の眩しさに、とうの昔、自転車に乗って買い物に出かける母の姿を思い出しました。 母はいつから自転車に乗っていたのだろう。 私が自転車に乗れる頃には乗っていたかもしれない。 今ではママチャリと呼ばれる自転車に乗って、春歌秋冬、季節を幾重も巡り、自転車に乗ってあちこち奔走していた母。 パートへ出かけ、オイルショック時代はトイレットペーパーだのを荷台に何個も括り付け、ヨタヨタと自転車を漕

          母が自転車を降りた日

          飾りじゃないのよ

          こないだ、原口智生さんから面白いビデオがあると聞いたので みた純烈の戦隊ヒーローモノに、八代亜紀さんが出演なさっていた。 あまりにもかっこよくて泣けてきた。 しみじみ「おんな港町」や「なみだ恋」を久しぶり聴いて心沁みた。 八代さんの歌はいいなあ。 八代さんは膠原病の何かだと聞いていた。 突然悲しみがうわっと押し寄せてきたので、自分の心を整理したくなった。カナダで撮影した大きな作品も無事全部配信も出揃った。 もう、私は次章へ進まねば。あれを大きな布石として。 それにしても、よく

          飾りじゃないのよ

          私のおみおつけ

          『赤いハンカチ』という映画にこの場面は出てくる。 あの浅丘さんの最初の登場シーンだったと思います。 彼女が「私のおみおつけ」と軽快に口走るのです。 彼女はまち工場に自転車通勤する娘で、豆腐売りを呼び止めて、豆腐を買うんです。そして、裕次郎扮する刑事にこうかけるのです「私のおみおつけとっても美味しいんですよ」と。そして娘は勝手口でおみおつけをご馳走するのです。 このわずかなやりとり。彼女が口走る「私のおみおつけ」という言葉の響き。 屈託のない表情、軽やかな声の響き。 「へそまで

          私のおみおつけ

          恭喜發財!平平安安!健健康康!

          春節を迎え、益々の平安と健康を祈って施設にいる母へ会いに行く。 春節ということで、紅抱渡すにも母は「ここではお金は使えないから不要」というので、普段口にできない甘味、不二家の紅い苺のケーキを買って行った。 不二家は母の好物だったということが今になって理解できた。 昭和14年生まれ、田舎育ちの母には不二家は憧れだったのかもしれない。 幼い頃よく目黒駅前の不二家に行ったのは私が好きだったわけじゃなく母が好きだったからだ。 痛み止めで抑えながら1時間半ほど運転。 調子が悪いと痛

          恭喜發財!平平安安!健健康康!

          ムーチービーサ

          ムーチービーサ。 不思議な言葉だが、この時期なんとなくこの言葉が不意に出てきてしまう。 寒さの中ポケットに手を突っ込んで歩く帰り道、プイと唇を突き出し「ムーチービーサ」と思わず不思議な言葉を口ずさんでみる。 これは沖縄の方言で「鬼餅寒」という沖縄のお菓子を食べる寒い季節のこと。 旧暦の12月8日の寒い時期に、特に子供がいる家はこのムーチー(鬼餅)を作り邪気払いや健康祈願をするんだそうな。それをムーチービーサというらしい。 あちこち色んなお菓子がある中でも郷土のお菓子が好き。

          ムーチービーサ

          それ、ずっと履いてるんですか?

           昨日、所用のついでに靴を買いに行った。 その時に、ちょっと考えさせられたことがあったのでメモを残しておく。 私は2004年子宮がん治療のため下肢リンパ郭清をしたので、リンパ節をとっている。これをなぜやるかというと、がんがリンパを通じて転移すると言われているから。だからリンパ周りも多めに切除する。その際、リンパ管もいじるわけだが、それでもリンパはバイパスを伝って流れてゆく。人間の体って不思議だ。そのリンパ管は失って再生されなくても、他のリンパ管を通じリンパ節を通過してリンパ

          それ、ずっと履いてるんですか?

          KST、連綿とつづくわが儚き人生

          2024年のらハジメ。 クリスマスに洋書のタッシェンから買ってた分厚い本を「読み初め」として開くと、そこにはあのキューブリックがいかにしてナポレオンという人物についての映画を撮りたくて撮りたくてたまらなかったか大きく溜息が漏れてしまうほど。 膨大な画像の数々。オックスブリッジの歴史研究者との綿密なやりとり、衣裳や小道具など細部にこだわった準備の写真などなど。映画会社との手紙のやり取り、メモ、テキスト、スクリプト、ああああ。現代のようにそれぞれのパソコンなどにデータ保存なんかで

          KST、連綿とつづくわが儚き人生

          恩師との再会

          今年の後半の最大の出来事は、恩師との再会。 最大なんてもんじゃない、もう何十年も会ってない。 そんな、小学校最後の担任、恩師に会いに行った。 今会いにゆかないと一生後悔するとふと思いたち、 行動あるのみ。思い切って葉書を出してみた。 すると、ショートメールがかえってきた。 そんなこんなで早速会いましょうということになった。 こんなにトントン拍子で再会を果たせるなんてどうしたことだろう。 今年は、狩俣の神歌の件に始まり、会いたい人にどんどん会えてちょっと大丈夫かなと、やや困惑

          恩師との再会

          猫のいない世界

          相棒猫・ニャーリーが骨猫となった2023年。 初めての夏はまだ良かった、夏は忙しなく暑くて過ぎた。 問題は秋からだった。秋は本当に身に沁みた。 その辺を歩いているだけで、ニャーリーを思っては涙した。 舞い落ちる枯葉に、川の水鳥や、キジバト、草花、風、とにかく骨猫のことを語りかけた。彼女は骨になっても愛らしく気高く美しかった。 そもそも、いわゆる世間が可愛いと思うような猫とは違った。 誰かに写真を見せても、わああ!可愛い!という飛びつくような反応もなく、でも私にとってはとびきり

          猫のいない世界