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15歳で表紙を飾った朝日新聞社の週刊誌からの今


朝日新聞社に久しぶりに伺った。
土曜版beの取材のため。
思えば築地に移る前の有楽町にあった時代、15歳のおさげ髪に制服の私が母を引率者に朝日新聞社を訪れ、週刊朝日の面接で表紙モデルに合格。
そして篠山さんに撮影されて以来のあっという間の今の私なのである。
そう考えるとデビュー40年目とはいえ、そこから勘定するとこの業界に足を突っ込んで40年以上になる。

朝日新聞社に朝日ジャーナルという雑誌もあって、19歳かそこらで新人類の旗手たちという筑紫哲也さんが連載していた人物フォーカスで取材を受けた。
15歳の週刊朝日以来のことで、朝日新聞社にこんなにも縁があるとは不思議だなと思っていた。朝日新聞社の社旗がヒラヒラするハイヤーが来てくれたり、なんだか新聞社のイメージが事件や政治を追いかけるだけじゃなく、文化や人もフォーカスするんだなと実感した若かりし私。

以降、週刊朝日表紙には何度となく登場、アサヒグラフでも特集を組んでもらったり、何かとお世話になった。白谷さんという写真班の人が好きで、彼のとったシルクロードの器の写真展などにも行った。中村さんという記者はどうしているだろう。筑紫さんはお亡くなりになられたが、tbsではそのバトンを膳場貴子さんが継いでいる。膳場さんとはがんのシンポジウムで一度ご一緒した、いつの日かまた、この国が抱える医療や介護問題などでお話しする機会があればいいと想像する。

ふとびっくりしたのは、今回の土曜版beの原稿を素晴らしくまとめてくださった編集者が以前私に原稿を依頼してくださった同一人物だったこと。
がん闘病後の私が書くことでリハーヴできたあの時間を思い出す。
辛かったが、書くことはカタルシスに繋がる。悪くない。ただしんどいだけ。
この文章を読んで泣けてきた。泣くことも悪くない。
ある時、私が流した涙が酒臭い時代があったと作家が思い出して笑った。
そんなに酒を飲んでいた時代があったのか。
しおっぱいを通り越して酒臭いほどの涙。それもまた人生。

先日、沖縄の最後の夜、長年付き合った愉快なトモダチや新しい人々を募って酒席を設けた。私の40年といえば集まるだろうと思ったまで。私のことなど全く興味ない人たちだが、せっかくなので一言言わせてくれと勝手に挨拶した。人との繋がりは大事だとか、あと仕事して10年だとか、やりたいことやっていこうとか、ありきたりなことばを羅列吐きながらも、本当は心の中は土砂降りに涙が豪雨のように降っていた。
彼らともあと何回会えるのか、もうこれが最後かも、トふと思ったからだ。
でもまたにゃあとゴロンとなりに行ければいいんだが。彼らにはそういう優しさというか、ゆったりした、うちなー心がある。
でも、一期一会とはよく言ったものだ。もう会えないと思うようにしておこう。

母は、先日の「徹子の部屋」をみてくれて、可愛いと電話で何度も感想を述べてくれた。昨日会いに行ったら、骨にヒビが入ったとかで、なんでそうなるのかと項垂れたが、本人は呑気にまた「徹子の部屋」の話をしているので、聞いていると、「私がでたんだけど、徹子は視聴率が下がったようだから、大変なのよ」とまた想像の世界にいるようだ。お母さんそれ私が出たのよ、まあ正確にはお母さんの若かりし写真は出たけどね、それに視聴率は下がってなんかいないと思うけどね、そんな口ごたえをすると、「そう?私が出たんだけど、視聴率がねえ、、、」と謎の返信口ごもり。
母が元気で笑っていてくれるのが、今は一番の幸せ。

私は病気後の後遺症や新たなる免疫疾患を抱えてはいるけれど、生きている。
先日、突然花束をいただいたので、何かなと思ったら、私の「子宮会議」を読んで本当に良かったです、おめでとうございます、とのことだった。花束を送ってくださったのは、「Shōgun」の共演者だった。若い彼女があれを読んでどう感じたかはさておき、2007年という古い著作物を今でも読んでくださっている人がいることに、ありがたみを感じる。古書になってもいいから、読み継がれてほしい思いで夕鶴のように私から湧き出る言葉を一つ一つ大事に綴った本だ。スピン紐の海の水色まで凝った本だった。これは小学館からでている。小学館は激写で15歳からお世話になっている出版社だ。

人がこさえるものは人を介す。
だから人の縁を私は大事にして行きたい。


お母さん、出来の悪い娘で迷惑ばかりかけました、でも、私のことを悪くいう人はいても、陥れようとしたりする人は今のとこいません。
お母さん、私はあなたが私を産んだから、私は生きています。
人に支えられ励まされて、
依子の依は、依存の依でもありますが、最近沖縄の友達からは依代だよと
言われます。あなたの直感力や眼光、第六感やもののけの強さを私も知らぬうちに受け継いでいるようで、最近は道を歩いていると、蝶や鳥たちまでがよってきます。宮古島の神歌を採録した新里先生の書斎にいる猫のウシさんも私を大事にしてくれます。スズメまでが私のベランダーに巣を作り、これも生き物の縁でしょうか。
依代として、いろんな先輩たちの言葉や、助言を忘れずに、
健康に留意してまいります。

さあ。レコード聴こう。
金井喜久子さんのお姉様のタカラカナさんの声。


沖縄で探しまくったカナさんの歌声は私がレコードで持っていたというオチ
カナさん
朝日新聞の取材で持って行ったレコードコレクションの一部



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