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「Tashme への道」~日系カナダ人収容所を訪ねた記憶

⭐︎2022年『将軍』撮影にてバンクーバー滞在中の日系カナダ人関連のメモからの抜粋

日系カナダ関連を追ってくれる相手がいたので、 tashme までいけた。
バンクーバー市内から車で180キロくらいの山の中にそれはあった。
Hope というまちを目指す。そこはスタローンがランボーを撮影した橋があったりするという、撮影隊は本当に辺境でもどこへでも行くのが常。
今回「将軍」もブリティッシュコロンビア州内のあちこちでロケした。
山間に見えてくる、 tashme  は今ではキャンプ客などが訪れる場所のようだ。

ここは、最後に鉄道強制労働の日系男子たちが家族を呼ぶために作らされた収容所。バンクーバー市内からは比較的近い狭いヘイスティングミルにあった収容所にそれまで彼らはいた。その後男たちは、一緒に暮らせなかったのだが近くに家族が tashme 収容所に彼らがいることにそれは喜んだに
違いない。

強制収容所の話は色々聞く。
アメリカ、そしてここカナダにもいた。
私はできるだけ遠い収容所を見学したかった。
探すと tashme にはそれがまだ残っていた。
そして、そこへ向かった。

かつてのグロサリーストアが博物館になってるのだが、毎週末にしか開いてない。行って理由がわかった。
カナダ人の男性が1人でやってるからだ。
彼は元々日系人が多く暮らしたスティーブストンで育ったおかげで地元の日系の友人ができて大変興味が湧いたそうだ。
スティーブストンは古くから多くの日本人が移民した。
和歌山が多かったとも言われている。
太平洋戦争で米国と開戦してからは、強制収容所に収容された。
スティーブストンからはカナダの中でも最も一番遠くに収容されたとも聞く。
理由は、船や港に近かったせいだろう、スパイ活動などを危惧されたゆえだ。
戦争は本当に恐ろしい。

博物館を案内された。
当時の日系がどのように暮らしていたか、8ミリ記録の上映もあった。
一通り展示物を見学。
床はそのままだと言われて、その床を踏み締める現在の我々の足元に
不甲斐なさというか、軟弱さが恥ずかしくもあり、でも踏み入れてよかったともなぜか感じた。ここを何人の日系人が歩いたことだろう。
記録と記憶の行ったり来たり。


その当時のままの床

博物館には少し日系関連のグッズが売っていた。
そのほとんどは彼のデザイン会社によるものだった。
野球チームのバンクーバーASAHIのTシャツとか、ここのもそうだ。
展示物の配置、模型もそうらしい。すごいじゃないかカナダ人。
「彼と何かそのうちコラボができるといい」と密かに思いを芽生えさせた一緒に行ってくれた同行者の感想も嬉しかった。
それにしても、カナダ国籍の日系に置かれた仕打ちは凄まじい。
土地財産没収。2度と戻れない様にしたのだ。
カリフォルニアの日系はそこまでじゃなかったはずだと記憶している。
カナダは先住民もだが移民に厳しかった。白人入植による人種差別がそうさせたのだろう。海沿いに暮らした日系は全てスパイ扱い。戻るのに戦後4年以上かかったそうだ。しかもそのほとんどが戻れない運命だったそうだ。


Tashme 日系収容所博物館の館長さんと我々

ここの記録映像に映ってる人々は海沿いに暮らす日系ではないそうだ。
海沿いつまりスティーブストンなどの出身はもっと奥にある何もない
収容所。きっとスパイ容疑や思想なども監視されていたのかもしれない。人が人を疑う恐怖。争いとは恐ろしいものだ。

動画はみんなシナリオは丁寧に存在しているプロパガンダだ。
捕虜を大事に扱ってるのだ、という主張、日本に向けたプロパガンダ。
笑うとこでしっかり笑い、踊り、しゃべる、全て指示通りだそうだ。
日本は捕虜の扱いは戦メリで見るように、、、、なのだ。

 外へ出ると、山間に囲まれた収容所には何もないであろう姿が想像できた。今は何かキャンプ場なども近くてひとの気配もある。
空は高く、延びた道の先は遠く山間のどこまでも続いてる。
夏は日射が強く、冬は寒そうな土地だった。
でも、ここを先に入って鉄道工事をしていた日系の男たちが、家族のために「仮設」とはいえ「HOME」をこさえたのだ。

胸が熱くなった。頭の上の太陽も熱かった。


人の記憶は一生ではないけれど、ここへ来たことをいつの日か
胸を張って語れる日が来れたらいい、そんなことがなくても、ここに来たことが、何かの記録とつながって、また新たな記憶となって種を蒔ければいい。

そう、帰国して沖縄の大山盛保さんがカナダ移民だったことを知った。
古代の港川人の発掘に多大なる尽力を尽くした人だ。
戦後の沖縄での民間のガソリンスタンドも彼によるものが最初だったと伺った。

日系移民の記憶。
もう時期、また太平洋戦争が終結したと言われる夏や長い攻防の沖縄戦がやっと終わったと思われる秋が今年もやってくる。

「記憶の再構築」
先日試写で見たチリのジャーナリストが認知症になってゆくドキュメント『エターナルメモリー』(マイテ・アルベルティ監督)から得たその主人公のジャーナリストが残した本からの貴重な言葉が私の琴線にふれ見終わってしばらくしてから涙が止まずしばし記憶について考えていた。映画の中から彼の言葉をここに記憶としてリヴェットしておく。

“記憶を持つ人は勇気があり、種を撒く人だ、記憶のことを知る人は勇気があり、種を撒くひとだ

記憶を再構築する、それは過去に固執することではなく常に未来を意識した行為だから

自分自身を見つめ、問題を認識し、弱点を知る、それを克服して、広い心で、未来に立ち向かう試みだからです。記憶の再構築は合理的なだけの行為ではなく統計を用いるだけでは不十分です だから感情を回復して痛みを受け入れ悲しみを表す必要があります

記憶がなければ自分を失う 行き先も分からず困惑してさまよい、アイデンティティもない 「封じられた記憶」は過去に固執するための本ではない、ましてや傷口を開き、痛みを呼び覚ますでもない、

記憶によって私たちがアイデンティティを回復し真実を認識すること、それがなければ 和解もない” 

一体、いつになったら平和は訪れるのだろう。
そして、記憶が失われゆくことの怖さを久しぶりに肌で実感。
さらには、日系人強制収容所のことも思い出した。
そのことを今夏にちゃんと記憶のバトンとして、一緒にあのtashme  の強制収容所に行った人がカナダから京都までやってきて、丁寧につなげていることをしった2024の夏。


Tashme camp
記録として一番古い写真




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