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ムーチービーサ

ムーチービーサ。
不思議な言葉だが、この時期なんとなくこの言葉が不意に出てきてしまう。
寒さの中ポケットに手を突っ込んで歩く帰り道、プイと唇を突き出し「ムーチービーサ」と思わず不思議な言葉を口ずさんでみる。
これは沖縄の方言で「鬼餅寒」という沖縄のお菓子を食べる寒い季節のこと。
旧暦の12月8日の寒い時期に、特に子供がいる家はこのムーチー(鬼餅)を作り邪気払いや健康祈願をするんだそうな。それをムーチービーサというらしい。

あちこち色んなお菓子がある中でも郷土のお菓子が好き。
土地変われば、気候、文化も異なり、大変興味深い。
その地で味わったもの、土産、書籍などでしか知らないものなど、
そして、昔はあったけど今はもう作られないお菓子もあると聞く。
ムーチー「鬼餅」というお菓子は沖縄では一般的だが東京の私には物珍しい。
なぜムーチー(鬼餅)という名前なのかも興味深い。

ムーチーがなぜ鬼餅なのか、そして更に寒いという意味の「ビーサ」をつけて呼ぶのかは詳しくはない。私は勝手に寒い時期の暦の季語のように「ムーチー寒い」と呼んでいる。ムーチーに関しては外間守善さんの名著「沖縄の食文化」にも載っているので読でみるのもいい。そこにも書かれているが、ムーチーには伝説のような言い伝えがある。
舜天の時代の頃の首里の金城の御嶽にいた兄妹の話だそうな。(日本昔話の市原悦子口調で)大里という首里から南下した場所で人を食う鬼になってしまった兄とそれに悩む妹の話だった。

大里で人を食う鬼がいるという噂が広まった。
その鬼はどうやら兄らしい。確かめようと首里から大里へ妹は出かけて行った。
兄の家を覗くと鍋には人肉が確かにあった。やっぱり鬼になったんだ。そんな兄を妹はどうしたものかと悩んだ挙句、兄を首里の金城の御嶽の大赤木のある崖の上まで呼び寄せる。
妹は、美味しい餅があるから一緒に食べようと差し出す。
それは月桃の葉でくるんだ餅で、自分の食べる普通の餅と、兄には鉄を入れた餅を用意した。
兄はよくこんな硬い餅を妹はもぐもぐ食べているなあとみると、妹は自分の股の間が見えるように立膝をつきしゃがんで食べていた。
餅を食いながら兄がふとその姿を見たとき、妹の股の間はなぜか血だらけだった。それを見て、なぜ血だらけなのか?!と慄いた兄に妹がこう言ったのだ。
「上の口は餅を食う口、下の口は鬼を食う口なのさ!」
すごんだ妹にすっかりビビってしまった兄は、そのまま鉄餅を腹に収めたまま崖に落ちて死んだ。金城の御嶽には、その鬼の角が葬ってあるというお話だった。
上の口、下の口、そして妹の股の間の血。
ホラー並みの話だが、なんだか勇敢な妹の愛情、悲哀も含め、悪くない話だと私は思った。

久しく、この寒い時期にムーチーを食べていなかった。
ムーチーは今時は那覇空港でも売っているものだが、私は手作りのが好き。
ある時、當間監督の母上のタミエさんの手作りムーチーが毎年送られてきていたが、程なくして、なぜかパタリとこなくなった。
楽しみにしていたので、どうしたのか聞いてみたら、
邪気を払う子供も成長し、一緒にムーチー作りをする人がいないという理由だった。

ムーチーはたくさん作ると聞く。
紐で結んでたくさんぶら下げているのも見かけた。
そしてその煮汁を邪気払いに撒くとも聞いた。
ちょっと中国の粽にも似てるかもしれない。
あれは汨羅に入水した屈原の屍を魚が食べないよう、民衆が葉にもち米を五色の糸で包んだちまきを撒いて供養したという説もある。ドラゴンボートレースの由来は、このときにワレサキニ屈原を探す船が出たというのが5月の節句に食べるちまきの由来という。

冷蔵で硬くなっても蒸せば美味しいムーチー

昔からの言い伝え、風習で残っているお菓子たち。
ムーチーは、昔から自宅で邪気払い、子供たちの健康を祈って家でこさえる儀式も簡略化されやがては消えゆくのかもしれないなあとちょっと寂しい気もした。
少子化、みんな揃って家族が手分けして作る風景も少なくなってきているのかもしれない。外間先生も「沖縄の食文化」の中で、その寂しさを言葉に残している。

確かに、ムーチー作りをする家の風景が消えゆくのも寂しい。
今年は手作りムーチー食べたいとタミエさんに連絡してみた。
すると即答でこう返ってきた。
「はいー送ってますー。明日届くはずよー!」
なんという以心伝心。
翌朝には沖縄から嘉手納ルートでも使っているのかという最速で東京の私の自宅へムーチーが届いた。
しかもとっても寒い日だった。

久しぶりに届いたそれはモンドセレクション受賞の沖縄銘菓の空き箱を利用した箱でやってきた。緩衝材に包まれ綺麗に整列されたムーチーたち。単語帳のメモに書かれた「かぼちゃ」「べにいも」といったフレーバーの説明付きだった。

モンドセレクション受賞の沖縄銘菓の空き箱というセンス!



でもまたなぜ突然タミエさんはムーチーを作ってよこしたのだろう。

コロナ禍で手作りで作ること、家族が集まることもできなかったこと。
でも今年は孫がおばあちゃん一緒に作りたいと言ってきたと、タミエさんの声は嬉しそうに弾んでいた。ちょっと長電話いい?と前置きをしてこの歳になって新しいレシピの発見まであったと嬉々と語っておられた。

ムーチーを孫たちと一緒にこさえるタミエさんの姿を思い浮かべながら、
冷蔵で少し硬くなったそれを蒸し器で蒸すと、月桃の香りが部屋中に広がった。
ほっかほかの餅を月桃の葉から剥がして口に頬張るとほんのり優しい甘味と冬の沖縄を思い出した。タミエさんの家の庭にある立派な月桃の花や葉っぱを。
そして、ムーチー伝説の首里の金城に暮らすセンリさん一家のことも思い出した。

首里の石畳

ああ。沖縄の草花の匂い、石畳、方言の響きが恋しい。
識名宮の寒ヒ桜も咲いただろうか。
桜坂入り口と書かれたさんぴん茶とムーチーを口にしながら、
もうとっくに血だらけにはならない還暦手前の自分にふとため息を漏らすのであった。

識名宮の桜








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