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自己肯定感が低い人が「低いまま」少し生きやすくなるために心がけること。

自分で自分を決められない

「それで、のんちゃんはどうしたいの?」

目に力が入る。「キッ」っと何もないところを睨みながら、散々自分の考えを言ってはみたものの、「どうしたいか」と聞かれてなにも答えられない情けない自分を恨む。このどうしようもないこの気持ちにはやり場なんてないのだ。やり場のないこの自己嫌悪を空(くう)にぶつけてみるものの、得られるものなんて何もない。そんなのよく分かっている。

やりたいことがない」「どうしていいかわからない」そしてなにより、「自分の為に生きられない」。こういう人って私以外にも沢山いるだろう。

自己肯定感が少なく、自分という存在の価値が周りの人によって変わってしまう。軸がなくてぶれてしまう。必要とされないと「必要じゃないんだ」と思ってしまう。これらはすべて、私の弱いところだ。確固たる自分はそもそも存在していない。点数など可視化された評価によって評価されてきてしまった人間は、その個性や、点数を出せない環境では自分という存在を認められないのかもしれない。

でも残念なことに、それでも人は生きていかねばならないのだ。人生を自分で決めていかないといけないのだ。どんなに自分が弱かろうと、ダサかろうと、時間は私を待ってはくれない。

だから、少しだけ、生きやすくなる方法を考えてみた。


評価対象から外れろ!

①人を評価しない
②人と比べない(ある程度開き直る)
③自己肯定感を持てる場所を作る

自己肯定感が少ない人は良くも悪くも人を見すぎる。自分とは違う他人を研究データのように扱い、プロファイリングしすぎる傾向がある。

「あの人は自分と比べてどう優れてるか・どこが弱みか。」
「あの人はこのコミュニティの中でどういう立ち位置でどういう順位か。」「自分の中で、何点か。」
こういうことをもし考えているのなら、辞めた方がいい。これを考えているのをきっと相手は気づくから。フラットになる方法を考えよう。相手にバイアスをかけると、相手も自分にバイアスをかけてくる。

あぁ、この人は僕を評価しないな。居心地いいな。
そう思われる人は、相手にも評価されない。自然に評価対象から外れるのだ。だって、無害だもの。評価対象から外れることで、自分が自己肯定感に悩まされる機会は減るだろう。相手に自分が肯定され、受け入れられるきっかけを作れるから。


(人畜無害www)


小さな目標と大きな目標を比べない

そしてこれができたら、相手と自分を比べないようにしよう。
「大きな目標がある人は偉い」なんていうのは、正しいとは限らない。そのスケールと比べるから、自己肯定感を持てなくなる。「やりたいことがない」それは、目の前にある小さい「やりたいこと」をないがしろにしているかもしれない。

「アニメみたいなぁ」という小さな「やりたい」が「この主人公みたいな生き方をしたいなぁ」に代わり、「いつのまにかこうなったなぁ」と、なにか達成してることもあるかもしれない。(筆者体験談)

自己肯定感の無い人は完璧主義で目線が高すぎることがあるかもしれない。自分がまだそのレベルの「やりたい」を見つけられるほど経験値がないにも関わらず大きな目標のある人に憧れる。でもよく見て、その人達がその大きな目標を持つまでにすすった泥の量を。

君にはまだそれだけのキャパと伸びしろがあるのかもよ?
泥をすすればすするほど、大きな目標が生まれるかもしれないよ。

一つでもいい。自己肯定感をもてる場所を作ろう。ゲームが上手い・感情移入が得意・歌が上手い。なんでもいいから「これはちょっとできるよw」みたいなことを作って、疲れた時はそこで息をつこう。苦しくない人間はいない、その中でも普通以上に苦しんでるなら、沢山ガス抜きをしてしまえ。できることを一生懸命している人に、気付く人間も中にはいる。

自己肯定感を今から持つのは難しいかもしれない。少なくとも私には難しい。「自己肯定感を高める方法」みたいな記事を読んでも、「それができたら苦労しないわい!」と思ってしまう。だから、自己肯定感とは違うことを気を付けて、少しずつ迷う時間を減らしたいと思った。

ありのままをもっと生きやすくするために。






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