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97「ママ・グランデの葬儀」ガルシア・マルケス

 138グラム。『百年の孤独』はいつになったら文庫化されるんだろう、と待ちながら『百年の孤独』以外のガルシア・マルケスばかり読むことになる。文庫は、来ないのか。

 『新幹線大爆破』という古いパニック映画がある。いつ見ても新幹線が大爆破しないのが面白くて、つい繰り返し見る。また大爆破しなかったねえ、と言うために見る。

  「大佐に手紙がこない」というタイトルの中編小説は、大佐に手紙が来ない話だ。もしかしたら次は来るんじゃないか、と思わず繰り返して読むがやはり来ない。びっくりするほど来ない。手紙ってこんなに来ないでいられるものかと感心するくらい、決定的に手紙は来ない。

  この短編集は「大佐に手紙がこない」からはじまり、最後が表題作「ママ・グランテの葬儀」という作品であるが、順に読み進めていってママ・グランテの葬儀になってもまだ待ちつづけている大佐がちらっと出てくるのである。読み始めてからそこそこの時間が経っているが、ああまだ来てないのか、と肩を落としつつ本を閉じる。

  ガルシア・マルケスはとても面白いのだけど本を閉じてしまえば「大佐に手紙がこなかったなあ」というようなことを思うばかりでそれ以外の感想は特にないのが妙だ。
 祭りのようにわっと狂乱がある。それぞれが個別になにかやってるのだからにぎやかなのだろうけど、観察する側には「一個のにぎやかさ」とだけしか目にうつらない。
 あるいは、蝉は一匹だとうるさいけど、岩にしみいるくらいの量になるとしずかさであるとか、そんな感じか。もしくはいっこいっこの刺激的なできごとを全部同じ重さで「そして~、そして~」でつないでいった小学生の夏休みの作文のような。

 読み終えて何か言いたいことも出てこないが虚空を見つめて考えこんでも仕方ないので頭をひねる間にもう一周読む。やっぱり面白いが、「うん、あいあからず大佐に手紙、来てないな」としか言いようがない。

 ひとつ、重大な発見をした。喘息をわずらっている老妻のために往診に来てもらうシーンである。

昼食のあとで医者がやってきた。大佐と夫人が台所でコーヒーを飲んでいると、先生がおもてのドアを押し開けながら大声で言った。
「みなさんお亡くなりですか?」

 東京の下町でしか成立されないと目されてきた、老人老婆を相手に余命を盾に決死の笑いを取りに行く毒蝮三太夫ギャグが、コロンビアでも立派に活動しているではないか。「おお。そうかそうか、あるのか、こういうのは。やっぱり」と喜んで付箋を貼る。不慣れなラテンアメリカの空気に、少し近づけそうなきっかけをみつけたことを祝して。

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