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読んでない本の書評41「センセイの鞄」

150グラム。いい加減おとなになってからの恋愛は、重すぎても軽すぎてもどうかしてる人みたいな感じになるものなので。 

距離をつめるのが苦手な二人の間で奇跡的にも恋愛がはじまり、そしてまっとうできてよかったよかった。
 というのはさておき、私はどうもセンセイの「妻だった者」のほうが気になるのである。かわいい。

 たいして乗り気でもないセンセイを週末のハイキングに連れ出して、いきなりワライタケを食べてみせ中毒を起こす「妻だった者」。出奔して何十年たっても、センセイにとってははかりかねる存在でありつづける「妻だった者」。
 「妻だった者」は、芒洋としていっこうに距離が縮まる気がしないセンセイとの関係性を確認するために、突拍子もない行動をとることしか思いつかなかったんじゃないか。はかりかねる、とか言ってる場合じゃない、それは圧倒的に愛だ。たぶん、すでにじゅうぶん近すぎるがゆえにアプローチを間違えた。

 たしか90年代だった気がするが、歯ブラシのテレビCMで女性タレントさんが「しゃかしゃかぽい、しゃかしゃかぽい…」と言いながらブラッシングしている印象的な映像がよく流れていた。
 その当時のある天気の良い朝、強い日差しを覚えているからもしかしたら遅く起きた休日だったのかもしれない。母はアイロンをかけ、父は新聞を読み、私も本か何か読んでいた。アイロンをかけながら、母は鼻歌のように「しゃかしゃかぽい、しゃかしゃかぽい…」とつぶやいている。静かな時間が過ぎていた。だいぶ時間がたったころ、父がいきなり独り言のように「うるさい」と言った。流れていた時間が一瞬しゃっくりのようにぴたっと止まる。そしてそのあとは、しゃかしゃかぽいだけが消えた時間が何事もなかったようにいっそう静かに流れ続けた。
 あまりにも当然みたいな一瞬だったのでその時はそれきり忘れたのだが、センセイの鞄を読んでいたら、あの「はかりかねる間」のことをを思い出した。あれは。
 あの夫婦間でしか絶対に起こりえない謎のコミュニケーションはなんだったんだ。やっぱり、あえて言ってしまえば、愛という以外にはちょっと表現しようがなくはないか。

 愛は努力すればするほどうまくいくってもんでもないのだろう。「妻だった者」はワライタケなんか食べる必要がなかったのだ。センセイはセンセイのオリジナリティをもって愛していたのだから。でもワライタケを食べないですませる人生が、寂しかったんだろうな。

 お酒を飲める人の恋愛は、楽しそうでちょっとうらやましい。でもそうやってはじめてしまうとお酒なしにはうまくやっていけなくなりそうで心配でもある。あるいは、大人になってからしらふで恋愛なんかできるほうがよっぽどどうかしてるのだろうか。

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