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読んでない本の書評27「イワンのばか」

121グラム。人類の一大理想が今ならたったの121グラム。

 高校生の時。教室の一隅で弁当など食べながらトルストイの「クロイツェルソナタ」を読んでいた(恥ずかしい)。
 古文のスダ先生がすーっと近づいて「何読んでるんだ」と声をかけてくる。トルストイ面白いか、と聞かれた私はたぶん「ドストエフスキーのほうが好き」というようなことを答えた(恥ずかしい)。スダ先生は「うん、あいつは問題意識が足りないな」なんてことを言い、トレードマークの坊主頭を扇子でぴしゃぴしゃ叩きながら立ち去っていった。 

 あれから何十年たっても「トルストイ」という名前に遭遇すると「あいつは問題意識が足りないな」というスダ先生のバンカラな一刀両断を思い出す。
 変に自意識が強くて意味もなく孤立したがる私に、気を遣ってわざわざ話の水を向けてくれていたのだ。地味でかしこぶってる女子高生なんてベンガルトラより扱いにくかったろう。

 いい年になってからのほうが、トルストイを読むのは楽しい。良い方にも悪い方にも、なんとなく自分ののりしろの範囲が把握できるようになると、「そうか、お花畑みたいな理想主義者になるのだって才能がいるのだ」とわかるようになる。
 たぶん、世の中が動くときって、まず素っ頓狂なロマンチストが現れて、そのあとで汚れた仕事もできるリアリストが整備し、そのあとでわけわからないけど盛り上がっている大衆が踊りながら通り過ぎていって、道ができるんじゃないかな。

 どんなトルストイを読むときも「あいつは問題意識が足りない」という唐突な名言は常に私の頭にあって、にやりとさせられる。木で鼻をくくったような返事しかしない理想的でない女子高生にわざわざ話しかけてくれたスダ先生はあの時、いくつだったのだろう。今の私より年上だろうか。

 馬鹿には馬鹿の才能があって、ロマンチストにはロマンチストの才能があって。でも大人になって周りをみてると一番苦労してるのはリアリストに多いような気もします。あと、年をとるほど、理想を語る敗残兵みたいな文学って、だんだん心地よくなるものなんですね。
 お礼も言えずに卒業しちゃってごめんなさい、すだっち。

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