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読んでない本の書評68「朗読者」

147グラム。本を読みながら、「ああ本が読みたい」という気持ちになってくる。あんまり純粋に楽しんで読むハンナがうらやましくて。

 本を読む人の本、というのはそれだけで少し割り増しで好印象になる。最近読んだ中では『その女、アレックス』がやたらと古典文学を読む女性として登場していた。あまり内面を描写していくタイプの小説ではなくても、その人物の読んできた本がわかると、それらを通じてと心が地続きになるようで、ご近所さんみたいな気持ちになれる。

 『朗読者』で熱心に読まれているのは『オデュッセイア』と『戦争と平和』だ。台所にむき出しの浴槽がおかれてるような極小アパートで、恋人と身を寄せ合ってそんな雄大なものを朗読する読書体験は、たしかに忘れられなくなるだろう。
  ハンナが気に入った小説に『エミーリア・ガロッティ』があるのも面白い。全然内容も知らないし、本屋さんでもあまり見た記憶のないタイトルだが『若きウェルテルの悩み』でウェルテル(というかゲーテ)に追い回される聡明で素朴なキャラの人妻が読んでいるのもまさにこの本だった。ドイツではちょっと少女趣味の傾向のある女性がみんなハマる話しなのだろうか。日本だと『ガラスの仮面』とか、そういう感じ?

 前半はそれほど閉ざされた中で濃密に語られる二人の男女の話なのに、後半から唐突にその小さな世界が過酷な歴史と社会にさらされていく話になる。
  わからないことを分かったみたいに書かないように、一生懸命生きてきた登場人物を裏切るまいとしてすごく緊張して書かれているのが伝わってくる。どこから目線の感想だよ、という感じにはなるが作者に対して「ははーん、これは大変でしたね」と感心してしまった。

 ハンナの側から世界を見るか、ミヒャエルの方から世界を見るか、によっても受ける印象はだいぶ変わるんだろう。
 興味深かったのは、少年時代のミヒャエルが、父親のことを「実生活ではあまり役に立たない」と軽んじてる節が見受けられることだ。知識人として尊敬はしていたろうが、一方で反面教師とみなしているところもあって、だから粗暴なほど直感的に人生を切り開いているハンナに強く惹かれたようでもある。


  それがぐるっと一周してミヒャエル自身が人生との格闘にだいぶ疲れてきてからは、どうやら父親にそっくりな人になっているらしいことが、切なくもおかしい。
 「そうそう、本当にそうだよね」と思うのだ。関係が密である存在ほどその無力さを間近に見ているのは苦しいものだ。
 そして、歳とともに、一番嫌なところが似てくる。そもそもほぼ同じ素材でできているんだから、最初からそうなるに決まっていたのだ。
 格闘した末に、振りだしに戻っている。かといって格闘しない人生ってのも、ないのだよね。

オデュッセウスはとどまるためでなく、またあらためて出発するために戻ってくる。『オデュッセイア』はある運動の物語にほかならない。その運動には目的があると同時に無目的でもあり、成功すると同時に無駄でもある。

 この際『オデュッセイア』も読むべきだろうか。恋人との退廃的な午後でもない限り一人で読むのはちょっと大変そうな気がするなあ。

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