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クラベタガリ。



 ひとつ前の記事、「タニンのエリアシ」でも似たようなことを書きましたが。


 人間って、「自分以外のダレカが持っているモノ」のほうが、自分が持っているモノより価値があるように思ってしまいがちです。

 「人間って」だなんて。

 オマエはニンゲン代表なのか!いつからそんなに偉くなったんだ!

 ひー!怒られてしまいました。


 "ダレカが持っているモノ"といっても、いろいろな類いがあります。


 「人との繋がり」
 「容姿にセンス」
 「オカネや仕事」

 だいたい、このあたりでしょうか。


 わたしは常日頃から、ダレカと自分を比べています。

 ダレカのことを、そ〜っと覗き見。
 自分より劣っていそうなところを、粗探し。

 へっへっへ。
 みつけちゃった。
 わたしの勝ち。

 思わぬ収穫に、頬がほころんでしまいます。


 ウワァ〜

 嫌なヒトだなあ、とドン引きされた音がしました。
 しかし、残念ながらこれがワタシです。

 ほんと、オマエなんかそこらへんの草でもしゃぶって生きてろよって感じですよね。スミマセン。


 でも。

 え?なんでこのヒトはこんなに凄いのに、わたしはこれっぽっちなんだろう、と。

 返り討ちに遭うことだってあります。


 たとえば。

 容姿はわたしのほうがイケてるとしましょう。
 わたしのほうが友達も多いし、なんなら恋人もいる設定にしておきます。なにせ、例え話ですから。

 しかし、お給料はその「ダレカ」のほうがもらっていることが発覚。

 勝っている項目がいくらあっても、劣っているところがひとつでもあるとそこばかり気にしてしまいます。

 もったいない。
 わたしは友達は多いし、恋人だっている設定なのに。


 どちらにせよタニンの粗探しをするということは、なにかしらいまの自分に満足できていないということです。

 自己肯定感を上げていつまでも幸せに満たされて、ハッピーなライフを送ってみたいですよね。

 みたいですけれども。
 SNSがあるかぎりそれは叶わぬ夢だと思っています。


 SNS 〜嫉み、妬み、それから僻み〜

 我々クラベタガリ族は、こぞってSNSに巣を作りたがります。
 目の前を通りすぎる投稿を、目で追って、品定め。


 恵まれているのか。優れているのか。幸せなのか。

 比べたがるのが、クラベタガリ族の習性です。

 エサは、比べることによって得る多幸感と高揚感。

 ただし摂取しすぎると、ビリビリと痺れて感覚が麻痺していきます。
 薬物とおんなじで、ヒトをダメにするのです。


 品定めしていると、自分よりいいモノを持っているダレカも出現します。

 むしろ、こっちの方が多いのかも。

 SNSには自分の悪いところって、あんまり投稿しませんよね。
 だって、自分をイイように見せたいから。

 よく、匂わせなんて言葉を耳にします。

 そして、匂わせに対してプンプンと腹を立てているヒトを、それ以上にお見かけします。

 こほん。


 匂わせは、ワナです。
 言ってしまえば、ゴキブリホイホイのようなモノ。


 いい匂いに誘われて、クラベタガリ族が寄ってきましたよ。観察してみましょう。

 あそこにウマそうなモンがありそうだぞ、と。

 興味津々。

 そして、まんまと蓋を開けてしまいました。


 いい匂いにのせられてしまった結果、ニオワセ族のワナにかかってしまったのです。

 見たくもない、聞きたくもない、嗅ぎたくもない、吸いたくもないタニンの匂わせ。

 そんなモノを摂取しても、得られるのは嫉み、妬み、それから僻み。

 気持ちのよくなるモノではありません。むしろ、余計にダレカの粗を見つけてやりたくなります。


 タニンのアラサガシをして、クラベタガる。
 クラベてばかりいると、ニオワセの罠にかかる。
 罠にかかると、アラサガシをしたくなる。


 エンドレス。

 クラベタガリ族として生きていても、なんの幸せも掴むことができません。

 ただただ偏屈な、卑屈なニンゲンになっていくだけ。
 今まさに、負の螺旋階段を駆け下りている最中。

 わたし自身も、この負のループにのまれ、彷徨い、屍と化して漂っているところなんです。


 ダレとも比べない、純粋で綺麗なわたしでありたいのは、やまやまなんです。

 ですが、先に言ったとおり。
 比べることは薬物と一緒ということ。

 ギャンブルとも似ていますね。

 ダレカと比べる。
 自分がダレカよりいいモンを持っていると分かる。

 と。

 じゃあコッチの人はどんなモンを持っているのかな。
 そしたら、もう何人かとも比べてみようか。

 あ〜、今回は失敗。
 匂わせにひっかかっちゃった。

 でも、次こそはいいアラをゲットしてくるぜ。


 一種の中毒。治療法は解明されていません。
 禅でも組んで、悟りをひらくしかないのでしょう。

 これからもクラベタガリ族として、生きていくしかなす術はないのです。

 幸い、クラベタガリ族は数が多い。
 絶滅なんてあり得ません。
 わたしの周りにも、たくさんいます。

 群れで生活する民族ですから、仲間意識は強い。
 同じアラのメシを食う仲、といったところです。

 わたしはこれからもクラベタガリ族の一員として生活を送ることになるでしょう。

 どこかでクラベタガリ族を見かけたら、どうぞ心の中でこう言ってやってください。


 「かわいそうに。アワレだね。オロカなことだ。


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