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35歳のおじさんがプロダンサーになるまで3rd season①〜苦難の20代ラスト編Ⅰ〜

27歳。

その頃、最も挑戦していたバトルイベントが『B.O.N』。
広島で今も続くバトルイベントで、バトルにまだ慣れてない若手の登竜門のようなイベントだった。

この時期は深夜に開催されていて、私は仕事終わりによく島根から挑戦しに行った。

私の年齢とダンス歴は出場者の平均値より若干上だったが、とにかく——非常に残念ながら——ダンスが踊れなかったので、違和感なく混ざって挑戦できていた。

同じ時期に、転勤で出雲市を離れ、浜田市で暮らすようになった。

県立島根大学の浜田キャンパスでは、毎日のようにダンスの練習をさせてもらっていた。
当時のダンス部の中には、ロックダンスをしっかり始めた子もいて嬉しかった。
(いまでは島根県で1番レベルの高いサークルになった。継続の力は凄い。)

また、福岡は博多で開催されるバトルイベント『Carnival』にも挑戦するようになった。
車で行くと7時間かかるが、出雲から行くことに比べれば2時間は短縮されるので、それならまだ行けると判断した。
(時間感覚がおかしい。)

『Carnival』の映像は当時、ダンスの動画がまだまだ少なかったYouTubeにも上がっていたので、出雲時代は毎日のように見ていた。

博多。

日本のストリートダンス発祥の地。(と言っても過言ではない)
伝説のチーム『Be Bop crew』の本拠地。
そして『Majestic5』が結成された場所。

私のダンス人生の様々なご縁を辿ると、必ずここに辿り着く。
ある意味、私のダンスのルーツと言える土地だ。

初バトルは全く結果が出なかった。
結果というより、空気のような存在感すら出せなかった。

しかし、どこか感慨深かった。

そして、博多の、九州のダンサーはやっぱりかっこいいと再認識した。

「いつかここで……」

夢に近い目標と共に、私は博多を後にした。

【未来の自分から一言】
バトルに向かう車の中。
エンジンをかけて走り出せばもう行くしかない。
途中で冷静になって、バトルに出る緊張感とそもそもバトルに出る選択をしたことへの後悔を、いつもキミはしていたね。
『B.O.N』と『Carnival』は、今後もキミにとって、とても重要な転機を与えてくれるバトルになるよ。
気持ちと行動に矛盾を抱えながら、今は車を走らせ続けよう。

《苦難の20代ラスト編Ⅱ》へ続く…

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