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あれこれと記事を書いてみた、その先について

広報のことを少しでも言語化しようと始めたこのnote。実はやりはじめて6年も経っていて、自分が1番驚いている。

何かが積み重なっているのか積み重なってないのか、こんなに経ってるのにもかかわらず、やってる本人すらまだ手応えはないけれど、積み重ねた先にしかないものはあるので今日もやっていく。

発信した先に得られるものをもっと明らかにしたいかも、、ということで今日少し言語にしてみる。もちろん状況や関係者によるので、なかなか一般化はできないけど。
所属先でブログを更新し続けて起こっていること、そしてこのnoteを書き続けて起こっていることは少し語れる気がするので、私見ではあるがまとめてみる。


前提として:何かを伝えるときのプロセス

  1. 「言おう」「言いたい」と考える

  2. 言葉を選んで表現する

  3. 届ける人や場所を決める

  4. 届くチャネルに載せて公開する

まずは伝わるときのプロセスについて。これがひとつでも欠けると伝わっていかない。
ネタが思いつかないのは「言おうと思えてない」に近いし、言いたいことがあってもコンテンツ化できてないなら「言葉を選んで表現できてない」に近い。

これらのプロセスのひとつでも欠けてしまうと、実は伝える前提にも立てないということである。


記事を書いた先に起こること

私は文章執筆が嫌いではなく、完全に我流だけど、十分に自分の武器のひとつになっていると感じる。
また、オウンドメディアの業務をやっていて慣れているから、やはり「記事にする」という広報手法をとることが多い。

ここのnoteも、何が得られるかもあまり実感がないまま、なんとなく連続記録を止めたくなくてゆるゆると続けている。毎月数時間でとりあえず言語化するのも、質はともかくとしてさすがに慣れてきた。

記事発信を続けて得られるものは単純化して伝えにくく、記事のターゲットや中身によってもかなり変わるので、正直言い切れない・わからないのだが。

先程書いた伝えるプロセスのどこを満たしているのか? を考えることで、現状の分解ができるなと感じている。

この個人noteにおいては、「伝えたいこと」はなんとか毎回捻出して表現を頑張っている。ただ、あくまで自分の探究活動の域を出ないので、「届くチャネル」まで意識はしていない。

所属先のオウンドメディアにおいては、個人の範囲で済まないこともあって「言いたいこと」の整理がまず必要となり、その届ける人や場所の整理も重要になる。個人noteのように気軽なものになりにくいし、他業務との兼務もあるとなおさら、ひとつひとつの記事作成に労力がかかる。ただ、会社に興味があれば見てていただきやすいので、バズなどを求めなければチャネルははっきりしている。


記事は「使ってなんぼ」

オウンドメディア運営、ブログ運営、note運営、、などなど、「広報活動において記事をつくる」ことにとても大きな期待を持っている人をたまに見かけることがある。

期待を持ちすぎている人ほど、「とりあえず書けばいい」と考える人が多いような気がする。1記事を書くのはあくまでスタートである。

というのも、記事は使ってなんぼであるからだ。人が気にしていること、知りたいことはパターンはあれどたった1〜2個に集約されることはない。知りたいこと、そして伝えたいこと次第で記事の中身が変わるのは当たり前かと思う。  
情報が何もないよりは多少置いておくことは重要だが、全ての悩みに1〜2個のコンテンツで賄うことはできない。

なので、多様なニーズに応えるため、たくさんの記事(情報)の準備が必要になってくる。
すなわちある程度の数を書き続けなければいけないということである。同じことでもターゲットが変わればニーズが変わり、切り口が変わり、記事の中身は変わり得る。

そこまでイメージできていないと、書き続けることを考えられないのだろうが、このケースもよく見かける。
多様な人の多様なニーズに応えられる記事本数は1〜2個では終わらないということだ。情報のアップデートなどがあって、定期的に新しく書き直すなどもありえるので、なおさら。

  • 言いたいこと×ターゲット

  • 言いたいこと×言葉

  • 言いたいこと×チャネルや形式

さらに言うと、上記のように細部まで考えるといろいろな中身に行き着くはず。「チャネルや形式」まで考えるなら記事という形式にすらならないかもしれない。


そんなに単純な手段ではないが、まず記事を書かなければ始まらない

伝わるプロセスを想定しながら、その記事を「使う」必要性を記載した。
最後に「積み重ね」の発想をお伝えして終わりたい。

記事を書けばいつか何か大きなリターンがくるに違いないと考える人は多い。これはあながち間違いではない、ただし積み重ね方による。やみくもに書いてもあまり意味がない。
言語にしておくことで、次のコンテンツ作成時に流用できて活かせるなどのメリットはある。ただ、それが誰にも届かなかったら縁が得られないし、ブランドとして積み上がらない。

フロー型のプラットフォームだと見逃されやすく、相当投稿して中身を何度も見せないと目につかず、考え方が伝わらない。ストック型のプラットフォームを使い、考えをストックしていくことが、よりわかりやすく見つけやすくしてくれると思う。

私のこのnoteの経験においていうと、先述の通り比較的探求の要素が強い。客観的に言うと漫然と書いている側面が強く、特に広がるチャネルには置いていないことで、労力の割にはっきりした効果は出ていない。
ただ、何もやらないよりは効果はあるなと思うし(たまに、読んでますよと言われたり。SNS発信そこまでしない中、自分の考えや存在をアピールするひとつにはなっている)、直接的ではないが私自身の広報業務における業務の思考整理にはなっていて、言語化やロジック説明には十分役立っている。

今回は、オウンドメディアやブログ、noteに大きな期待を持っている方へ向けた違和感を最近持ったので、言語化の時間とできた。
ただ書き散らかしているだけだが、月1の言語化を続けるのは正直大変である。ただ、この時間を強制的にとることで個人的には思考が進んだとも感じる。
あの時にやり始め、続けようともがいていなければ、もう少し自分の広報レベルは低かったかなと思う。

似たような状況の方がいたら参考にしていただきたい。


#広報 #PR #オウンドメディア #ブログ #記事執筆 #ライティング

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